「2匹目の甲斐犬、安藤忠雄、そしてフィレンツェ」に寄せられた感想
日本犬のよさ
わが家にも、甲斐犬がいます。去年のクリスマスで15歳になった雄・りゅうです。漢字では、「蓼」という字のくさかんむりをとった字を書きます。
ご先祖が猟犬として人間とともに一つの目的をもって仕事をしていたからでしょうか、頭ごなしに言っても言うことを聞きませんが、ことを分けて理由を説明すれば、ちゃんと納得してやる賢さがあります。そういうところが、日本犬のよさなのではないでしょうか。
10歳になる娘は、りゅうを5歳年上のお兄さんとして育ちました。りゅうは彼女が赤ちゃんのころからなにかと教えているらしく、なにかのときの判断がよく似ているのが興味深いです。娘もりゅうには一目置いていて、歩き始めのころにも、りゅうが寝ていると大回りして歩いていました。
空くんは、写真ではまっ黒に見えますね。りゅうは茶色と黒の虎縞です。口の回りなど、ずいぶん白くなってきてしまいましたが……。まだまだ長時間お散歩する親孝行者ですが、一日も長く、元気に長生きしてほしいと、それだけが望みです。(りゅうくんのお姉さん)
伝統あるモノを簡単に捨てられる理由
どうして、それまでの伝統あるモノをいとも簡単に捨てられるのか。わたしもずっと疑問に思ってきました。
何となくですが思うことは、まず、日本の伝統的建築物は木造が多いこと。壊すのが簡単、ということですね。石造りだと建て替えが面倒な気がします。
次に、異国の文明に寛大だということ。厳しい宗教的縛りも少なく、というか皆無で、新しいもの、珍しいものが大好きという日本人は多いと思います。そもそも仏教伝来から明治維新まで、この精神の影響は強いと思います。それでいて芯の部分の頑固さはありますよね。いくらクリスマスで盛り上がり、バレンタインやイースター、ハロウィーンで騒ごうと、信者になったりしませんし。結局中庸さを好みますよね。
最後に、伊勢神宮の遷宮の例もあって、どうも一度壊して生まれ変わることに、日本人は大きな意味を持つようだということです。だから古いものを捨てても、何かが破壊されたという自覚が、案外少なかったりするのでしょうか。京都、奈良や各地の小京都っぽいところさえ残ってれば安心してしまうというか。象徴的伝統さえ残れば、周りが激変しても精神の安定が得られるのではないでしょうか。
こんなところが、理由かな。どうでしょうか。(ぱりじょな)
日本犬に乾杯!
日本人には日本犬ですね! わが家にはもうじき2歳になる秋田犬がいます。32kgの威風堂々とした体格です。猛吹雪であろうと、雨であろうと、飼い主に媚びることなく、わが意思を通すありさまには潔さを感じます。やりたければ黙って自分の意思を貫くべきだ!と彼に教わります。
建築家はわたしたちの歴史・文化、そしてどのように生活しているかをつぶさに見て、それを構築していく仕事なのかなと考えてきました。普段着の生活を聞き取り、すごしやすさを追求していった故宮脇檀のエッセイが好きです。(crazydog)
飼ってしまえば「うちの子が一番!」の世界
日本犬でも西洋犬でも、なんでも犬はかわいいのです。飼ってしまえば「うちの子が一番!」の世界です。
現在わが家にいるマルチーズは、5年前に拾いました。秋の軽井沢で、何かから怯えて逃げ回る様子を数日観察し、遂には、餌付けに成功しました。
当初、怯えきっていて、声帯手術や抜歯されている状況から、玩具のようにあしらわれていたとわが家では感じ、家族そろって、マルチーズを安心させるように振る舞いました。
現在、わたしの両親は、犬のために軽井沢の家を新築し、住民票まで移し、犬の快適さのために(?)余生を過ごしております。なんだっていいのです。犬ならば。(匿名)