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第12回(2) 2006/01/31
中東問題―土地の奪い合いが続いた
【 happykingさん(東京都/会社員/34歳/女性)からのギモン】
パレスチナ問題は、何が原因で、どういう経緯をたどってきたのですか? また、この問題が世界や日本に与える影響も教えてください
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ちなみに、「世界の難民」というときには、通常、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のデータを使いますが、この「難民」には、パレスチナ難民は含まれていません。パレスチナ難民に関しては、別の国連組織である国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が担当しているからなのです。なんだか官僚的な分け方のような感じもしますが、こちらが担当するパレスチナ難民の数は、400万人以上にも上っています。
その後も戦争は続いた
第一次中東戦争だけでは戦争は終わりませんでした。大きな戦争だけでも、合計4回も起きたのです。特に1967年の第三次中東戦争では、イスラエルがガザ地区もヨルダン川西岸地区も占領します。
また、国際管理になっていた聖地エルサレム全域を占領しました。エルサレムには、ユダヤ人にとっての聖地である「嘆きの壁」と、イスラム教徒にとっての聖地である「岩のドーム」があります。このため国連がパレスチナを「ユダヤ人の国」と「アラブ人の国」に分ける案をまとめた際、エルサレムだけは、どちらのものにもせず、「国際管理地区」ということにしておいたのです。
しかしイスラエルは、この戦争でエルサレムを占領し、「ここがイスラエルの永遠の首都だ」と宣言しました。
さらに、この戦争でエジプトに圧勝し、シナイ半島全域までを占領します。また、シリア領のゴラン高原もイスラエルが占領しました。この戦争でシャロンは、軍人として数々の武勇伝を作り、イスラエル国内で英雄になります。ということは、敵から見れば「殺し屋」ということになるのですが。
このとき国連の安保理(安全保障理事会)は、イスラエルに対して、占領地から軍隊を撤退させるように求める決議を採択しました。しかし、これをイスラエルは無視し続けてきました。
イラクに対しては、あれほど「国連決議を守れ」と要求したアメリカも、イスラエルが安保理決議を無視していることについては、何も言わないのです。これが、「中東問題に関するアメリカのダブルスタンダード」と批判される所以です。アメリカの政界に対するアメリカ国内のユダヤ人の影響力が強く、アメリカはイスラエルを強く批判することがないのです。
エジプトのシナイ半島までを占領したイスラエルですが、エジプトとの交渉の結果、エジプトがイスラエルを国家として承認する一方、イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還するということになりました。これは「土地と和平の交換」と呼ばれました。
しかし、イスラエルを国家として承認することに踏み切ったエジプトのサダト大統領は、その後、イスラエルとの和平に反対する軍人グループに暗殺されてしまいました。
イスラエルによって土地を追われたパレスチナ人たちは……
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