批判は踊る、されど…… 2001年11月10日
過剰反応です!
過剰反応だと思います。牛肉にはあれだけ神経質になって食べないのに牛乳は飲むっていうのが私には理解できません。牛乳のほうが血液からできていてよっぽど気持ち悪いと思いませんか?
O-157騒動のときと同じく政府の対応が悪いと思います。私の職場には厚生労働省が査察に来ますが、そのときは細かいことまで調べ上げて、このような騒動ではあいまいな答えしかだせないことに憤りを感じます。薬害エイズ事件にしてもそうです。大臣たちも焼肉を食べてアピールするくらいしかできないところが情けないですね。(匿名)
理屈以外の部分で焼肉食べたくないのでは?
みんなきっと、実のところ焼肉食べたい気分になれないのです。理屈以外の部分で。何となく力がわいてこない……。それは日本民族か人類の生物の種としての活力の低下、衰退を意味しているのかも。巨大隕石によって滅びたと言われる恐竜の話を思い出してしまいます。9/11のあれはそういう意味だったのかも。
「逆説的に言うと、ある程度の菌に触れていなければ、免疫力すら弱くなって感染しやすい体になってしまうかもしれません」。
わたしもそう思います。人間は本来、ちょっとやそっとの菌や放射能にでも打ち勝ってしまう程の生命力を持っていると思います。新陳代謝が活発なら、どんな毒物でも排出してしまえるはずです。
しかし、休日は自然の中でキャンプでは無く、都心のホテル。今朝、娘の腕にできた湿疹は、夕べ食べさせたデザートの添加物だったのではと不安になる。有機野菜の店に行くのは、排気ガスを出しながら車で……。
こんな生活から抜けだせないながらも、わたしたちは気が付いています。わたしたちはもしかすると、人間本来が持っているはずの動物的な生命力を失いつつあるのではないか。だから、ウィルスだのプリオンだの科学物質だの、目に見えないものにわけのわらない不安を感じずにはいられないのです。本能の力に自信が持てないコンプレックス。
だから、その目に見えないものが特定できた時には過剰反応してしまうのでしょう。狂牛病はそのひとつ。特に主婦、女は何ごとにも正直に反応してしまいます。別に政府が信用できない云々っていう理屈からだけではないのです。アルコールやたばこの害はわかっていても止められない(人がいる)ではありませんか。本当に食べたかったら、とっくに食べているでしょう。科学的論理的に決断しているわけではないのです。わたしたち自身の内的なエネルギーレベルが下がっているから、牛肉を求める気分になれないのでしょう。
日本が経済的にも文化的にも活力を取り戻した兆しが見えた時、わたしたちの足は自然に焼肉店に向いているかもしれません。(匿名)
行政当局は国民の生活を守っているのか?
確かに過剰反応の印象はぬぐえないものがあります(日本人ってもともと熱しやすく冷めやすい国民性だと思いますが……)。ただしそれは監督の行政当局が現時点でできうるかぎりの対策を十二分に取っているという条件が必須だと思います。
近くは薬害エイズ、古くはスモン、水俣病、新三種混合ワクチン(あまり知られてないでしょうがムンプスワクチンが髄膜炎を起こすという事例、カナダ政府はわずか数週間で禁止を決定しましたがわが国ではその後3年あまり野放しにされておりました)など、日本の役所は国民の生活を守るというもっとも基本的な発想を著しく欠く先進国では極めて特異な存在です。
狂牛病に関しては現時点では肉骨粉がその大きな原因と考えられており、海外では禁止が常識です。先日全面禁止が通達されたようですが、そのわずか2週間後には鷄・豚に関しては解禁と方針が示されました。「前例が今のところ無いので」というのはまったく説得力のない議論です。現実に羊には同様のプリオン病が存在するし、他の種に存在しないというエビデンスは証明されておりません。また前例が無いからというのは、農水省が、「狂牛病はわが国ではない」と言い続けて発生したという事例から、何の説得力もないのは明白です。事業者の方々も消費を訴えるのではなく、行政当局にどうすれば消費者が安心して牛肉を消費できるようになるかの根本的な対策を求めるのが急務と考えますがいかがでしょうか?(匿名)
過剰反応かもしれませんが……
牛肉はどのようなものであっても食べない、とか、疑わしくないと思われても製品を自主回収する、という現在の反応は過剰反応といえるのかも知れません。しかし、その反応に疑問を呈することより、「なぜこのように過剰反応になってしまうのか」を問うことのほうが意味があると思います。
過剰反応の原因は
・感染した牛が全て隔離されたわけではなく、疑いのある牛の所在が明確でない。
・主な感染原因と思われる肉骨粉が禁止されてからも、肉骨粉を与えていた酪農家が多く存在したことで、これまでにも感染したが発見されていない牛もいるのではないか、という疑いがある。
・ヨーロッパで実施されているような、食肉牛の処理手順は日本では導入されていない。
・発見前の在庫の扱いが不透明。
などなど。 そして、薬害エイズの記憶が新しいことより、政府の発表に絶対的な信頼をおくことができない、食肉業者などが利益目的に危険な在庫であっても、市場に出す可能性があるのではないか、などなど、杞憂かもしれないが不安をあおる材料はたくさんあります。
これらの不安を払拭できないかぎり、過剰かもしれない牛肉離れをとめるのは難しいと思われます。世の中雑菌はいろいろあるのでしょうが、不治の病になると可能性のあるものはそれほどないはずです。過剰反応に疑問を呈することより、より信頼のおける制度を促す報道をマスコミ各社に期待致します。(匿名)
行政を批判するだけではダメ
わが家はもともとあまり肉を食べる方ではないので、実際ここ1ヵ月牛肉は買っていないけれど、「過剰反応している」という感覚はあまりありません。カレールーやスープは買いますし。でも、焼肉屋などが駅前で割引券を配っているのを見ると,狂牛病の影響をもっとも身近に感じます。今回の事件に関しても、政府主導で国民の不信を募らせた結果の影響なので本当に気の毒だなと思います。
イギリスでも狂牛病騒動以来、オーガニック食品を選ぶ消費者がかなり増えているようです。日本もだんだんとそうなると思いますが、問題は日本では「有機」という定義がいまだにあいまいであることです。最近法律ができたそうですが、われわれ消費者も農家も、どれだけ認識しているか疑問です。それが浸透するには、消費者側の「少々高くても安全じゃないと買わない」という大きな流れがないといけないでしょうね。
わたしは何かと行政の責任にする風潮が嫌いです。もちろん狂牛病問題しかり、薬害エイズ問題しかり、行政は悪いです。でも彼らの怠慢や癒着を黙認しているのはわれわれ国民です。バカにされる国民側もそれが嫌ならお上に甘えるのではなく、自分で考えて、決断して、自己責任を取れるような大人にならなくてはならないんです。こういう異常な社会現象も大人の社会ならば減るのではないでしょうか?(シアン)