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体を張る韓国、帽子を拾う日本 2002年6月15日
外国から日本を見る視点
わたしは現在27歳。これまで「国家とは何か」ということを教わる機会も、議論するチャンスもなくここまできました。むしろ、そのような話題を忌避する習慣を身に着けてしまっているといえます。これは私だけでなく、わたしの世代全体にいえることです。
「国家」という意識を前面に出すこと=戦争を容認すること、という無意識の共通認識が確かにあると思います。戦争を経験してきた人はもちろん、わたしのような戦争を知らない世代にも、そう思われることを警戒して、ナーバスになっている部分はあります。
すぐに戦争とリンクしてしまう「国家」という言葉には、「国民」という要素はありません。「国家」は漠然としていながらとても大きく力を持ったモンスターのような存在です(すみません、ロード・オブ・ザ・リングを見たばかりなので)。
でも、少しずつ、日本人は変わってきていると思います。良くも悪くも、重要なのは「個人」だ、と気づき始めています。そんな時代に、「国家」というのは、「国民」でできているんだ、そういう認識をもてたら。「国家」という言葉の意味が変わると思います。
ワールドカップで、わたしたちは、世界の中の日本というものを実感できたと思います。自分の国を知るには外国に出ることだ、とよく言いますが、わたしたちは今、日本にいながらにして、中田やイチローを通して、外国から日本を見る視点を得ているような気がします。
新しい「国家」という考え方を作る、よい時期ではないでしょうか。(remy)
病んでいる日本
駆け込み事件の映像を目にした瞬間は何が起きたのかわからなかった。報道を聴くうちに涙が流れてしかたなかった。日本は一体どうなるのだろうと思う。同じ時代の中に生きて食べることすらままならない人がいること。この世に生を受けて飢餓のなかで死をむかえる子どもたちがいること。日本はまぎれもなく豊かな国だと思う。けれど病んでいる。40代を迎えやっと考えるようになった。日本は真に豊かな国になることができるのでしょうか。(匿名)
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