「やりきれない思い」
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2001年5月12日
まったくやりきれなくなるような殺人事件が毎日のようにあります。なかでも親による虐待で子どもが死亡するというニュースほど辛いものはありません。多くの場合、子どもはまったくの無抵抗です。それだけではありません。その子どもがこの世に生を受けたのは親の意思によるもので、子どもが選んだわけではないのです。誰にとっても生を奪われることは理不尽な話ですが、子どもにとって、その生を与えた親によって殺されるということほど不条理なものはないように思います。だからこそ、聖書でもギリシア悲劇でも親殺し、子殺しは大きなテーマでした。しかし報道で見聞きするかぎり、このところの子ども虐待は、あまりにも簡単でありすぎるような気がします。「泣き止まないから」とか「殴ったら死んでしまった」とか、あまり納得のいかない理由が並べられることが多いのではないでしょうか。人間には想像力があります。逆にいえば、想像力があるから人間であるともいえます。子どもを虐待するケースのほとんどは、単に他人の痛みを理解するための想像力を欠いた結果としか思えません。昔に比べて想像力を欠いた人間が増えているのか、それともそれが明るみに出るケースが増えているだけなのか、私にはわかりません。もし前者なら社会的に由々しい問題です。そう思っているところに起きたのが東京の三軒茶屋での暴行致死事件でした。少年4人が「足を踏んだ踏まない」で銀行マンを暴行し、死なせた事件です。これ以上殴ったら死んでしまうかもしれない、という思いは働かなかったのでしょうか。ちょっとした想像力があれば、被害者が死ぬこともなかっただろうし、加害者の人生も狂わずにすんだかもしれません。
人間としての想像力を高めること。それがなければコミュニケーションもできません。人間とは社会的存在です。つまり人間は独りでは存在できないし、また存在する意味すらありません。『キャストアウェイ』という映画で、主人公のトム・ハンクスがなぜ必死になって孤島から戻ろうとするのか。戻らなければ人間たりえないからです。子どもに想像力を教えることも大切ですが、われわれ自身ももっと想像力を鍛えたほうがいいのかもしれません。