「ねたまず、ひがまず、覗かず」
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2001年6月2日
5月末、小泉内閣が閣僚の資産を公開しました。政治をクリーンなものにするためには、資産公開制度は必要なものだと思います。しかしどうも新聞報道などを見ていると、他人の懐具合を覗きたいという雰囲気が見えて嫌なものです。
本来この公開制度は、閣僚の就任時と辞任時の資産を比較し、要職にあった時代にその地位を利用して不当な利益を得ていないかどうかをチェックするためのものです。ですから、閣僚の資産の平均を計算して「小泉内閣は第二次森内閣の半分以下だ」などと比較すること自体、まったく意味のないことでしょう。
まして朝日新聞の5月30日付け紙面のように、「民間大臣お金持ち」という見出しは、ひがみ、ねたみ、嫉妬以外の何物でもないように思えます。たとえ財産をどれほどもっていようが、それ自体にイヤミを言うような筋合いのものではないでしょう。「庶民とはかけ離れた資産家ぶり」などと書かれるのは、いい迷惑というものです。
「清貧」という言葉がありますが、必ずしも貧しければ清潔で、金持ちだから悪いということにはならないでしょう。とりわけ資本主義社会では、お金持ちには利殖するいろいろなチャンスがありますし、同じ1%の利息でも、「庶民」とは金額のケタが違います。でも、だから「悪い」のでしょうか。
川口環境相が、夫の預貯金を公開されて「運悪く私の夫になったばっかりに、プライバシーまで全部表に出る。(夫に)申し訳ないと思う」のは、ある意味で自然な感情でしょう(もちろん制度は制度であり、権力を行使する地位についているのだから、ある程度はプライバシーも我慢してもらわねばなりません)。
アメリカでも閣僚になるときは、FBI(連邦捜査局)が徹底的に身辺調査を行います。場合によっては、それは洗いざらい表面化します。それが嫌なら残念ながら閣僚になるのをあきらめなければなりません。
でも清廉さを求めることと、いまお金を持っているかどうかは、あまり関係がないのではないでしょうか。新聞がこういった書き方をすることで、本当に重要な問題である「地位利用」についての国民の理解が薄れてしまうことのほうが心配です。