「真紀子外相vs.外務省、真昼の決闘」
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2001年6月9日
田中真紀子外相と外務省官僚の「真昼の決闘」がいよいよ熾烈です。まさに西部劇を見ているような。町の大通りを1人決闘の場に歩くガンマン。建物の陰や屋根から彼を狙ういくつものライフル。しかもガンマンの正面から歩いてくる敵は5人。固唾をのんで見守る住人。ガンマンは別に正義の味方ではないが、彼が勝ってくれないと、再びあのギャング連中の支配に怯える日々となってしまうのです。
ことが日本の外交だけに、あまり簡単に善悪の図式に例えるのはやや軽率のそしりを免れないでしょう。でも田中外相の孤軍奮闘ぶりを見ると、こんな感じがしませんか。ポロポロ漏れてくる外相の「問題発言」。結局これは「いじめ」です。
考えてもみてください。通常、外務官僚の記者会見など、木で鼻をくくったような、という表現がぴったりの会見です。機密費横領問題での外務省の対応を見た人はよくわかるでしょう。それが外相の発言問題になると、まるで鬼の首でも取ったように口が軽くなるのはどうしたわけでしょう。普段やっているようにノーコメントで通すことだってできるでしょうに。
何とか田中外相を辞任に追い込みたいという官僚側の意図が透けて見えるだけに、うかつに田中外相には資質の問題があるなどとは言いたくない気持ちになります。もちろん外交は日本の国益を左右するわけですから、外相の資質は問われます。でも今まで「資質に問題のあった」外務大臣はいなかったのでしょうか。官僚の言うことを聞いているかぎりは、誰も問題にしなかったということではないでしょうか。
この際、日米関係が多少ぎくしゃくしようが、田中外相が外務省の旧弊を打破するまで頑張ってもらったほうが、よほど日本のためにいいという気がしています。とにかく、変わらないよりは変わったほうがいいのです。昔から言うじゃありませんか、「毒をもって毒を制す」って。この原稿を書き終えた後、大阪の小学校で悲惨な事件が起きました。何の関わりもない幼い子供たち8名の命が、安全なはずの学校で奪われたというショッキングな事実と犯人が精神障害者であるという事実。人権を守ることは大事ですが、同時に私たちは社会の安全も守らねばなりません。このテーマは、次週の「私の視点」で問題を提起したいと思います。