「社会の安全」をどう守る?−大阪小学生殺傷事件をめぐる大きな問い
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2001年6月16日
大阪で起きた小学生殺傷事件。あまりにも痛ましくショッキングな事件でした。わずか7〜8歳の8人もの子供たちの命が奪われたことが、よりいっそう私たちの感情をかきたてます。犯人が「精神障害者を装えば罪を逃れられる」と語ったと報道されていますが、精神病の治療歴があるだけに、裁判では責任能力の有無が論点になるでしょう。
一方で小泉首相は「法律の不備があれば、これを正さなければいけない」と語り、ここに来て一気に精神障害者による犯罪とその防止に焦点があたってきました。たしかに法律上の「不備」はありそうです。これまで精神障害者による重大犯罪が起きるたびに議論されてきましたが、「人権」という大義名分の前に、結論が出ぬまま放置されてきました。もちろん「人権」に、それだけの歴史的な重みがあることも間違いのない事実です。
ただ精神障害者がすべて犯罪予備軍であるわけではありません。むしろ健常者のほうが、犯罪を起こす確率は高いはずです。普通の人を「犯罪を起こす可能性があるから」という理由で隔離したり拘束したりできないのと同様、精神障害者であるからといって「予防拘束」することは許されないのです。
もしそんなことをすれば、精神科の治療を受けることは拘束されることと同義になります。社会から敵視されれば、社会を敵視する精神障害者が増えることになりでしょう。これは社会の安全を守ることに逆行します。
となると問題は、第二の犯行をどう防ぐか、に絞られます。犯罪をおかした精神障害者を入院させて治療するのが措置入院ですが、ずっと入院させておくわけにいかないし、ある程度の人は社会復帰させなければなりません。でも違法行為の内容によっては、退院の判断に司法の見解も加えるとか、退院後も司法が観察するようにするとかいう「制限」が必要なのではないでしょうか。
忘れてならないのは、最初の犯行を防ぐことはむずかしいということです(これは一般の犯罪でも同じことです)。だから自分で自分の身を守らなければならないという原則が、ここでも必要です。学校の「防衛システム」をつくるのもその一つでしょうし、危険を感じたらどのように行動するかを子供に教えるのもその一つでしょう。
理不尽に命を奪われた子供たちのご冥福を祈るとともに、私たちの社会の安全をどう守るのか、根本に立ち返りながら考えていきたいと思います。