「いびつな国」からの脱皮
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2001年9月29日
このところ2週続けてアメリカの同時多発テロをテーマにしました。たくさんのご意見もいただきました。マスコミが「戦争をあおっている」という主旨の厳しい批判もありました。私自身は、戦争することがいいとは思いませんが、戦わざるをえない場合があると考えています。
日本で大規模なテロといえば「地下鉄サリン事件」です。オウム真理教というカルト集団による事件で、大きな問題になりました。これは国内の団体が国内で起こした事件で基本的には警察組織で対応しました。しかしこれがもし外国の団体による事件だったらどうなったでしょうか。
警察組織だけで対応できないことは明らかです。だからといってすぐに軍隊を出せばいいわけではありません。それこそ報復が報復を招いて泥沼になってしまう危険もあります。外交的に圧力をかける、資金源をつぶすなどの手段を講じながら、最終的には犯人を逮捕しなければならないのです。
なぜ犯人を追わなければならないのか。それは社会の安全を守るためです。人を殺した人間を警察が追うから、ある種の抑止力になります(もちろん社会を守る力は警察などの国家権力だけではなく、教育なども重要な要素です)。国際社会でもある程度同じことだと思いますが、国家にはそれぞれの主権があるので複雑になります。
今回のテロについて、日本も戦わなければならないと思う理由は、日本人も殺されているからではありません。先進国として自由とか平等とかの価値観を共有している国として、日本が国際社会の一員であるからです。
もちろん政治的にみれば、今回の悲劇を招いた一因がアメリカの中東政策にあったことは事実です。タリバンという「鬼っ子」を生んだのは、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、それにアメリカが対抗しようとした政策にあります。しかしどのような因果関係があるにせよ、だからといってテロが許されるわけではないのです。
しかも今イスラム過激派の拠点はアジアにも広がろうとしています。今までにも海外などで日本企業の人が誘拐されて身代金を払ったり、あるいは殺されたりした事件がありました。テロ活動を許してしまえば、こういった事件が際限なく起こります。
それは防がなければなりません。そしてその防止策とは、対症療法的には警察や軍による抑止力ではないでしょうか。長期的には、貧富の格差や教育の格差を解消し、対立の種をできるだけなくさなければなりません(それでも宗教や民族の対立はなくならないのです)。そして今できることは「抑止」なのです。日本は、戦争に負けて以来、こういった問題を無視してきました。それはアメリカが「代行」していてくれた(もちろんそれがアメリカの国益でもあった)からです。その意味では、日本は経済的には世界第2位の国でも、外交や国際対立の調停といった場面で大きな役割を果たせない「いびつな国」になりました。
国会でのトンチンカンな質問や答弁は、日本のいびつぶりの見本でもあります。もちろん日本ができることは、自衛隊を派遣することだけではありません。国内におけるテロ組織やネットワークの捜査、日本の銀行にあるであろう彼らの資金の凍結、ハイジャック防止策の徹底などやることはいっぱいあります。そういったことができなければ、責任のある国としての資質が問われます。それが私が何度か書いている「日本の覚悟」ということだと思います。