くさい臭いはもとから断たないと
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2001年11月24日
やはり、というべきでしょうか。2頭目の狂牛病が発見されました。農水省も厚生労働省も、「狂牛病の牛は必ず発見され、肉が市場に出回ることはない」と胸を張っています。食卓に上ることがないから「安全」という議論も、わからないことはないのですが、狂牛病の感染ルートが明確にならないことには、消費者も今ひとつ安心する気にはならないでしょう。
解体した牛の全頭検査というのは、それなりの安全策ですが、いわば対症療法にすぎません。熱が出たから解熱剤というのと同じことです。熱の原因を探して、手を打つのが根治療法。原因をつぶさなければ何事も安心できないのです。
お役所は対症療法を得意とします。なぜなら根治するということになると、もともとまでさかのぼって解決しなければならなくなるからです。つまり根治療法するには、先輩官僚の誤りを指摘しなければならず、そうすると場合によっては責任問題にも発展しかねません。
外務省の機密費問題を例にとれば、松尾某さんの犯罪にしてしまうのがいわば対症療法であり、こういった犯罪が起きないようにシステムを変えるのが根治療法です。外務省の首脳が、ここにいたってもなお、「個人的な犯罪」という言い方にこだわるのは、システムの変更をしたくないからに他なりません。
警察官の不祥事が起きれば、県警の幹部が頭を下げて、場合によっては首が飛んだりするのも、まったく同じ構造です。しかもほとんどの場合、警察庁から派遣されたエリート官僚である彼らは、また同じように別の県警に移動し、不祥事が起きれば頭を下げるだけ。言ってみれば、責任を取るような取らないような妙なシステムなのです。
もっとも対症療法が得意なのは、お役所だけではないのかもしれません。政治家も企業も、そしてわれわれ個人も実は同じような傾向があります。たとえば自衛隊なんかどうでしょう。憲法問題を棚上げして、とりあえず自衛隊をインド洋に派遣するのはまさに対症療法ではないでしょうか。たとえば少年犯罪はどうでしょう。少年犯罪の罰則を厳しくするのは、とりあえず必要なことかもしれませんが、根治することにはならないでしょう。
受験のテクニックを覚えるために塾通いなんていうのも、対症療法ではありませんか。本来なら子供の知的好奇心を育てるために必要なことは何か、それを真剣に考えなければならないはずです。でもそんな時間がないから、とりあえず対症療法を試みて、なんとなくやった気になりたいのではありませんか。もちろん根治療法というのは、時間も根気もいります。原因が何かを探ろうとしても、なかなかわからないかもしれないし、たとえわかったとしても解決法があるかどうかが次の問題になるからです。それでも常に問題を根本から解決するにはどうしたらいいか、これを考え続けなければいけないのです。一昔前のコマーシャルでもこう言ったじゃありませんか。「くさい臭いはもとから断たなきゃダメ」。