患者の声だけでも格付けはできる
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2001年12月22日
先週、「病院の格付けが欲しい」と書いたら、たくさんのお便りをいただきました。どのメールも切実でまじめなものばかり。医療が生活のなかで大きな比重を占める問題であることを改めて実感しました。自分が病気になるだけでなく、配偶者や子供、それに親が病気になることもあります。風邪をひいたとかいうぐらいならともかく、ちょっと違うみたいと思ったときに、今の病院でいいのだろうかと不安になるのは当然です。
私の父のケースでも、具合が悪くなってかつぎ込んだ病院がひどかったのです。医者の態度はまあまあだったのですが、患者を人間として扱っていないという雰囲気にはどうも我慢がなりませんでした。病気を治して人を殺す、と言っては言いすぎでしょうか。痴呆の老人を看護するのは大変なことだとは思います。それでも自分たちは人間を治療しているのであって、機械を修理しているわけではない、ということをすべての医療現場の人たちに再認識していただきたいと思うのです。
現に、父の場合も、別の病院に移って優しく話しかける看護婦さんになったら、態度が変わりました。ほとんど無表情、無反応状態になっていた父が、感情を表に出し、機嫌がよければ話すようになったのです(意味不明の言葉も多いのですが)。もちろん体の状態がよくなったということもあるでしょう。でもそれだけではなく、人間の尊厳を尊重されているという実感が、父にも伝わったのだと思います。
医療機関の格付けを実際にやろうとすると、さまざまな問題が考えられます。読者からのメールにもあるように、大病院ともなれば、いい医者もいるし、だめな医者もいるでしょう。看護婦さんも同じです。たまたまいい医師に当たればこの病院はいい病院だと思うでしょう。でもハズレを引いてしまえばだめな病院と感じます。最終的には医師の評価をしなければならないのかもしれません。
それに医療の技術ともなればこれは評価がむずかしい。専門家に評価を依頼してもどこまで情報が公開されるか何とも言えません。患者のプライバシーの問題もあります。専門家は、格付けなんてとっても無理だというかもしれません。でも僕は、少し乱暴な言い方ですが、患者の声だけでも格付けができると思います。
別に患者や患者の家族に医学的知識が豊富である必要はないのです。医療の中で、患者はいわば消費者。消費者は技術的なことに詳しい必要はありません。自分の買った商品が安全で使いやすければそれでいいのです。患者と消費者の違うところは、消費者はいろいろ選ぶ情報があり、場合によっては買い換えたりすることもできるけど、患者には病院を選ぶ情報も、そして失敗したと思ったときに手術をしなおすこともあまりできないということなのです。だとすれば、患者は消費者よりも医療サービスの提供者に対してシビアな態度をとるべきだと思いませんか。
ところが医療の現場では、患者が消費者の権利を主張できる場面はほとんどなく、もっぱら専門家の医師によって一方的にサービスを売りつけられることが多いのです。もちろんわれわれの側にも問題がありますが、こうなっているのは、やはり消費者がサービスを選ぶという「競争」の概念が薄いからではないのでしょうか。あちこちで切実な声を聞きます。みんながそう思っているのだったら、ぜひ病院の格付けを実現させましょう。