マスコミを鵜呑みにしないこと
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年3月23日
「ワイドショー内閣」などと揶揄されてきた小泉内閣。田中真紀子さんと鈴木宗男さんの「場外バトル」まで加わって、国民の関心は高まっているようにもみえます。実際、われわれ雑誌の世界でも、『週刊文春』や『週刊新潮』は鈴木宗男さんのスキャンダルを次から次に発掘して部数を伸ばしています。新潮の最新号では、鈴木さんの証人喚問で名をあげた社民党の辻元清美さんの「疑惑」まで取り上げました。
政治家の疑惑やら、官僚のスキャンダルやら、見ている分には面白い。国会答弁で、はっきり答えられず立ち往生する官僚。冷静に答えようとしながら「ウソつき」と言われて思わず激昂する鈴木さん。「一生懸命やっているのに」と涙ぐむ田中さん。結構、彼らの人間的な側面が表れて興味が尽きません。鈴木さんの激昂する場面や田中さんの涙の会見など、何度見たことでしょう。
このような報道で、政治に無関心だった人々が関心をもつようになるとすれば、結構なことです。でも実は、そういった面だけが強調されすぎると、その陰で見えてこなくなるものもあるのです。たとえば不良債権処理など日本経済の問題、有事法制の問題、医療改革の問題など、大事なテーマがいくつもあるのに、「華やかな」場外バトルに押されてしまっているように見えます。
もちろんこれはわれわれマスコミの問題です。マスコミの端くれにいる人間として、私は物事の軽重の度合いを測るのがマスコミのひとつの役割だと思っています。もちろん知られざる情報(いわゆる疑惑)をほじくり出すのもマスコミの役割ですが、その疑惑がどの程度の社会的意味をもつかが重要だと思います。社会的な意味をどうとらえるかは、それぞれのマスコミによって違います。芸能人の恋愛も「意味がある」とするメディアもあるでしょうし、そう思わないメディアもあるでしょう。
問題は、このへんにありそうです。マスコミは、一方に流れやすいのです。視聴者や読者が興味がありそうだ、したがって「売れる」ということになると、事の重大性よりも市場性で判断することになりがちです。本来、マスコミが同じスタンスを取る必要はないはずです。むしろ逆に違う立場、違う見方を提供することこそ、メディアの役割ということもできます。
同じ立場や視点なら、どれかを見たり読んだりすればいいでしょう。違う見方を提供するからこそ、それぞれのメディアを読む価値があります。私自身、『ニューズウィーク日本版』という媒体の存在価値はそこにあると考えてきました。違う見方を重視すること、これが民主主義の原点でもあり、近代社会の特徴でもあります。したがって政治をまじめに報道しようが、ワイドショーで面白おかしく報道しようが、それ自体に問題はありません。要するに情報の受け手の側が、それらの報道をどう受け止めて、どう考えるのか、そこが重要なところでしょう。どちらにせよ、世の中にこれが「正しい」といえるものはほとんどありません。自分が「正しい」と思えるかどうか、そこが問われるのだと思います。