辞め方の美学と政治学
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年3月30日
彼女が自民党の鈴木宗男議員を国会で糾弾する姿は、何度もテレビで流れました。テレビに出演し、関西弁でまくしたてる姿は、視聴者にとって、もうすっかりおなじみになっていました。その社民党の辻元清美議員が、秘書給与の流用問題の責任をとって、国会から姿を消してしまいました。
議員を辞職すべきかどうか、本人は最後の最後まで迷っていたようですが、私はもっと早く、つまり秘書給与の流用疑惑が明らかになり、彼女自身が前言を撤回して事実と認めたところで、潔く辞めるべきだったと考えています。
その理由はいくつかあります。まず第一に、秘書給与の流用は、厳しくみれば詐欺(すでに民主党の山本穣司議員がこれで実刑判決を受けています)、少なくとも政治資金規正法違反にあたります。これは「ミス」ではすまされません。第二に、鈴木宗男議員に対して辞職を強く迫っていた当のご本人が、「そういう認識はなかった」というような論理を使って居座るのは、有権者に対して説得力がありません。社民党でも民主党でも、自民党などと違って「疑惑」に対して誠実に対応するという違いを見せつけなければ、追及にも迫力がありません。
第三に、政治的な駆け引きから言っても、ここは潔く辞職することで鈴木宗男さんや加藤紘一さんにプレッシャーをかけることができます。「さすがに野党は清廉だ」という印象があれば、次回の選挙に有利な材料となります。「議員の地位にはこだわらない」と常々語っていた辻元さんですから、その言葉を立証し、言行一致の人であることを示す「絶好の」チャンスだったのです。
それが数日間のゴタゴタで、辻元氏自身のイメージがだいぶん落ちてしまいました。彼女を応援していた人の中にも「結局、政治家は自分の身に火の粉が飛んできたときには、同じなのか」と感じた人がたくさんいたのではないでしょうか。
彼女はマスコミは「自分の応援をしてくれる」と甘く見ていたのかもしれません。NGO出身の辻元さんは、政治的なしがらみとは無縁の「市民派」とされました。今のマスコミでは「市民派」と名が付くと、それだけで「正義」というように扱われます。だから鈴木さんや加藤さんの疑惑と、自分の疑惑とは違うという気持ちが彼女の中にあったのではないでしょうか。
しかしマスコミの寵児となった人でも、いったん問題が起きれば、容赦なくたたかれます。サッチーと比べては辻元さんに失礼かもしれないけど、一時あれほどもてはやされていた野村沙知代さんも、脱税疑惑が起きてからというもの、すっかり「悪役」になってしまいました。僕自身もマスコミのはしくれにいますが、マスコミはそれほどぶれやすいものなのです。
政党に属しているのに、党の方針に従わずテレビに出演してしゃべったのは、マスコミに対する過度の「期待感」があったからではないかと思います。本来、彼女の問題は、本人だけでなく、社民党の危機でもあります。当然、そのダメージコントロールが必要なのに、党の幹部は辻元さんの見解を直接確かめることができず、テレビを通じて知るというのでは、笑い話にもなりません。辻元さんに投票した有権者は、彼女に投票するだけでなく、社民党にも投票したのだという事実を忘れています。
彼女をスター扱いしたテレビ、そしてイメージアップのためにそれを容認した社民党、それらが相まって彼女自身が勘違いしてしまったのでしょうか。議員の辞め方、これはむずかしい決断だと思います。しかし、議員としての倫理的規範は厳しいものでなければならないと主張する野党の議員だからこそ、間違いを犯した場合には、法律違反かどうかにかかわらず、自分に厳しい姿勢を示さなければなりません。
その潔さが「美的」であればあるほど、それが「政治的な力」となります。次の選挙で辻元さんが改めて立候補すれは、必ず勝てたはずです。
さてみなさんは、辻元さんの議員辞職についてどのようにお考えになりますか。