10年ぶりに中国を訪れて
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年7月13日
今回はソウルから書いています。ソウルに入る前に中国のいくつかの町を回ってきました。上海、珠海そして北京です。中国には10年前に行ったことがあります。そのときは天安門事件(1989年)のすぐ後だったので、いろいろ人にあって話を聞いても「中国には民主主義は早すぎるのです。この国をまとめるには皇帝のような強大な権力者が必要です」といった、ある意味で「統一見解」のような話しか聞けませんでした。
しかし中国の変貌ぶりは、聞きしに勝るものでした。上海の浦東(旧市外の東にあります)地区には50階以上の高層ビルが林立して一大ビジネス街になっています。東京の西新宿をもっと広くしたような感じです。ここはもともと農地で何もなかったところです。10年前には対岸から「あそこを大規模に開発する予定です」と聞かされて、「本当かな」と思ったものでした。
もちろんこれだけの開発をするのには、膨大な金が必要です。ここに流れ込んでいる資金は、香港や台湾、そして東南アジアの華僑が出しています。もちろん日本の資本も入っています。いわゆるデベロッパーは、ビルやマンションを建て、それを外国の企業あるいは中国の企業が借りて、一大ビジネスセンターになっているのです。
浦東地区だけでなく、旧市外の再開発も盛んに行われています。新しいビルやホテルはもちろん、古い町並みを生かして内部を改装し、そこにスターバックスなどを誘致し、なかなか雰囲気のある飲食街が建設されていました。新天地と呼ばれるこの一角は、若い人たちや観光客で大変なにぎわいぶりです。
町に大きなエネルギーを感じます。煌々とライトアップされた上海バンド、その対岸にはこれもライトアップされた新しいビル群。そこには「地方からきた観光客」が夜遅くまで歩いて写真やビデオを撮影しています。目抜き通りの百貨店は人でいっぱいだし、有名ブランド店を集めたショッピングモールもにぎわっていました。それに週末のレストランは予約がなければ入れないほど混んでいます。
もはや市民たちは共産主義のイデオロギーなど誰も気にしていないようにも思えます。すべてが国営だったころは、そこに働く人たちに活気が感じられませんでした。仕事をしてもしなくても給料は変わらない。これでは誰も一生懸命仕事をしたくないでしょう。しかし今は、国営企業に雇われれば大卒で月給が2000元(日本円で3万円ぐらい)なのに、外資系に勤めると6000元になるといいます。つまり能力をつければ同級生よりも3倍もの給料をもらえるのです。
そんな給料格差があれば、自分の能力開発に熱心になるのも当然でしょう。だから留学熱も大変なものです。かつては留学してもそこに残る人も多かったのですが、今では中国に帰って起業したりする人が増えているといいます。さまざまな地方で、起業した人に対する税制などでの優遇措置があり、それを利用して会社をつくり、それが中国の経済成長に貢献しているのです。
中国は今では資本主義国よりも資本主義的なのかもしれません。もちろんそれに伴うひずみは必ずどこかで現れるでしょう。しかしひるがえって日本のことを考えてみると、あまりにも平等主義なのかもしれません。それが中国とは逆に社会のエネルギーを削いでしまっているということはないでしょうか。
日本が戦後驚異的な発展を遂げたように、中国はこの21世紀のはじめに驚異的な発展を遂げるでしょう。その中国とどのように折り合っていくか、私たち日本人は真剣に考えなければなりません。単に中国人が日本に入ってこないようにするなどという狭量な考え方は、むしろ日本にとってマイナスでしょう。
貿易面でもシイタケやネギなどの中国産品を規制しましたが、これでは日本はむしろ自分の首を絞めてしまいます。中国を利用するのではなく、新しい日本と中国のあり方を模索する必要があります。より開かれた世界になること。それが日本の生きる術であると思います。もし中国製品に日本の製品が駆逐されても、日本の企業は新しいことを考えればいいのであって、保護して生き残ろうとすれば、結局その負担はわれわれ国民に来ることになります。
一言でいえば、われわれ日本人も変わらなければならないのです。その変革のエネルギーをどうやって引き出したらいいのか、これが大きな課題です。変革の動機は、われわれがより豊かな生活をするということです。物質的な豊かさを求めるのか、それとも精神的な豊かさを求めるのか、それはひとそれぞれでしょう。とにかく現状がベストというわけではないのです。中国の大変化を見ながら、そんなことを考えてみました。