今年の「終戦記念日」に思う
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年8月17日
今年の終戦記念日は、小泉首相が春に参拝してしまったこともあって、あまり大きな騒ぎになりませんでした。しかし、「誰もがわだかまりなく慰霊に訪れることができるような施設」をめぐって、まだまだ議論は続くでしょう。それに小泉首相自身も、そういう施設ができても「靖国参拝とは別」と言っていますし、橋本前総理も「そういう施設に私は行かないでしょう」と遺族会で語っています。
ということは、それらの施設の意味は何なのかという問題がいつまでも残るということになります。もちろん、首相の靖国神社公式参拝については、中国や韓国は相変わらず反対し続けるでしょう。
私自身は昨年も書きましたが、靖国神社そのものに強い違和感を覚えます。靖国神社の歴史をみてもらえばわかることですが、あれは戦争で亡くなった人を慰霊する施設ではないのです。もともとの成り立ちは戊申戦争で戦死した官軍の兵士を祀ったものですが、それ以来、「天皇のために戦った兵士を祀る施設」となり、そして第二次大戦では「戦死したら神になるのだ」といって送り出した神社です。
第二次大戦の犠牲者もすべて祀られているわけではありません。軍人、軍属は祀られていても、その他の民間人の犠牲者は除外されています(沖縄のひめゆり部隊ももちろん入っていません)。本来、あの戦争を真剣に「反省」し、将来の平和を誓うのなら、民間人も含めたすべての犠牲者を慰霊するのが当然だと思うのです。
今年は、アメリカの原爆投下に関連して、広島、長崎両市の市長がアメリカを名指しで非難しました。原爆は、戦争を早く終わらせようとしたアメリカが、一般市民を無差別に殺戮することになると承知で投下したものです。その意味で、アメリカの行為は人道的に許されないとも思います。そして核兵器の悲惨さを体験的に知っているわれわれが、現在の核大国に対して常に核廃絶を訴えていかなければなりません。
しかし同時に、広島、長崎の悲劇は、日本政府がポツダム宣言を早く受諾していれば防げた惨事であったことは明白な事実です。そしてポツダム宣言の受諾を延ばした最大の理由は、「国体の護持」つまり「天皇制の維持」にありました。つまり無条件降伏すれば、天皇制がなくなるかもしれないと思った当時の指導部が、受諾を拒否し、妥協点を探る一方で(それもソ連を通して)「本土決戦」を叫んだのです。その結果が、広島、長崎で数十万に及ぶ犠牲者でした。第二次大戦の犠牲者の半分近くは、連合国によるポツダム宣言の以降に亡くなった人たちです。
われわれ日本人がそのあたりの経緯をどのように考えるのか、その問題を抜きにして靖国問題や原爆を論ずることはできません。戦争は悪いもの、という感情論だけであの戦争を考えているかぎり、将来の日本がどのように行動すればいいのかという問題に結論を出すことはできないのです。現に、「不戦」を誓ったはずの国に、公然と軍隊が存在し、その軍隊がインド洋に出動するというところまで時代は変わりました。
私自身は、日本が自分の国を防衛するということに反対はしません。でも「戦闘行為に加わらなければ海外派兵もできる」というような姑息な論理には反対です。また有事の際に、軍隊が勝手なことをしないようきちんとした法制度(有事法制)を作ることにも賛成です。でもそれは国民の権利を最大限に守ることを前提としなければならず、その法制度抜きに作る有事法制には反対です。
こうした問題を考えるにつけても、われわれ自身が「あの戦争」をどのように受け止め、そして将来の日本の安全保障をどう考えるのかが大事なことだと思えてきます。それは日本が間違ったのかどうかということだけでなく、どのような成り行きでああなってしまったのかを「理解」することだと思うのです。まだまだ暑い夏、セミの声を聞きながら、日本の現代史を勉強しようと思います。