帰属意識とプロフェッショナリズム
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年10月12日
何だか真っ暗の日本ですが、久々の明るいニュースがありました。ノーベル賞で2人の受賞者が生まれたことです。ある新聞は「3年連続受賞」とか「初めての2人受賞」とか、ずいぶんはしゃいでいました。もちろんノーベル賞という世界的な権威のある賞を受賞することはすばらしいことです。その昔に湯川博士が日本人として第1号受賞者となったときは、子ども心にも「すごい!」と興奮したものです。
東京大学名誉教授の小柴さんのインタビューも好感のもてるものでした。「税金を使って好きなことをやらせていただいている」というコメントは、政治家や役人にじっくりと噛み締めてもらいたいと思います。小柴さんは大学の研究者ですが、もう一人、化学賞を受賞した田中耕一さんは島津製作所の研究員でした。急遽インタビューに応じた田中さんが会社の作業着姿で、素朴に「嬉しい」と語った姿は、多くの日本人の共感を呼んだことでしょう。
テレビの街頭インタビューである男性は「日本も捨てたものじゃないですね」と答えていました。こういった基礎研究では、たしかに日本の水準もそう捨てたものではありません。でもあえて言わせてもらえば、アメリカの半分の人口を抱え、一人あたりGDP(国内総生産)では世界第2位の国としては、ノーベル賞の受賞者数は圧倒的に少ないのではないでしょうか。
研究成果の「所有権」
その理由はどこにあるのか。これをめぐってはさまざまな意見があります。たとえば英語が苦手だから論文の数が少ないとか、日本人には独創性が足りないとか、企業だと特許との関係で基礎研究の成果を発表するのが遅れるとか、言われてきました。そのどれも当たっているような気もしますが、もう一つの問題として、企業の研究員の研究成果に対する「所有権」があると思います。
この問題は、現在アメリカの大学で研究活動を続けている中村修二さんが、かつて勤めていた日亜化学に対して青色発光ダイオード発明に関して20億円を請求してクローズアップされました(一審裁判では中村さんが敗訴)。要するに研究成果で利益が出た場合、それは誰のものかということです。
大きく言えば二つの考え方があります。研究者に対する利益配分は当然であるという考え方、あるいは会社がそのような場を与えたことによって成果が生まれたのだから権利は当然会社のものであるという考え方。現実には会社のものだけれども研究者にいくらかの報奨金を払うというやり方が多いようです(もっともその金額は田中さんは1万1000円だったし、オムロンでは最高1億円と極端に開きがあります)。
もしあなたが受賞者だったら
田中さんは謙虚に「自分の好きな研究が会社の役に立った」と言っていました。とかく会社への帰属意識の強さ、逆にいえばプロフェッショナリズムの弱さが日本人の弱点とされますが、この田中さんの謙虚さになんとなくホッとした人も多いのではないでしょうか。
しかし日本の企業でも、為替ディーラーなどで「成果主義」を取り入れています。会社がいくら儲けたから、あなたの取り分はいくらですよ、というわけです。営業などで歩合制という考え方は昔からあります。だとすれば、企業の研究者が自分の研究によって会社を潤した場合、その成果が払われて当然でしょう。「好きな研究をやらせてやっている」なんていうのは会社の思い上がりではないでしょうか。基礎研究となると利益の正当な配分を計算するのがむずかしいかもしれませんが、それでもルールをつくればいい話です。
ただ日本ではこのようなケースの場合、どうも「妬み」が顔を出しやすいということは言えます。周りの協力があったからこそできたのに、なぜあの人ばかりが利益を受けるのかというのです。どんな研究でも一人でやることは少ないので、このような周囲との軋轢は必ず生まれるでしょう。そんなことでギスギスすれば、結局は研究そのものの成果も生まれにくくなってしまうかもしれません。その意味では、田中さんのように謙虚で素朴なほうが「丸く収まる」でしょう。ノーベル賞の受賞者が増えなくても、日本の社会としてはそのほうがいいのでしょうか。もしあなたが研究者だったら、どう思いますか。