「持ち上げたものは必ず落とす」
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年1月25日
貴乃花のマスコミ嫌いには……
貴乃花が引退しました。引退するための「花道」というよりは、理由付けだけのために再出場したように見えるだけに、貴乃花がちょっとかわいそうだと感じた人も、多かったのではないでしょうか。相撲協会は、これで日本人横綱がいなくなるし、ガイジン横綱ばかりでは「国技」の名がすたると考えているのかもしれません。だから貴乃花を何とか引っ張りたかったのでしょうか。それに無言で堪えてきた彼の姿には悲壮感が漂います。
しかし貴乃花はマスコミにはいろいろ叩かれました。最初はお兄ちゃんと若乃花と並んで若貴時代などと持ち上げられて、やがてさまざまな場面で批判されました。貴乃花がすっかりマスコミ嫌いになったのもうなずける気がします。
英語のことわざにWhat goes up must comedown(「上がったものは必ず落ちる」)というのがあります。株価の比ゆなどによく使われるのですが、僕は、これが日本のマスコミにもあてはまるような気がします。ちょっと言い換えて「持ち上げたものは必ず落とす」とでも言えばいいでしょうか。
そんな例は枚挙にいとまがないほどです。たとえばあのサッチーこと野村夫人。あれだけマスコミに持ち上げられて一時はスター気取りになっていた人が、脱税だ何だとスキャンダルが発覚すると、水に落ちた犬を叩くような取り扱われかたをしました。もちろんスキャンダルがあったら叩くのはマスコミの常、というよりマスコミの「使命」なのかもしれません。それでも実はそのような人をあそこまで持ち上げたマスコミ側の責任というのはどこにあるのでしょうか。
メディアの意味は何に?
このように、マスコミのはしくれである僕が言うのも変かもしれませんが、どうも自分で納得がいかないのです。たとえば最近の小泉首相の扱い方にも問題があると思います。もちろん小泉改革はいっこうに進んでいないように見えるし、景気はますます不透明になるばかりとあって、批判が出るのは当然です。しかし、小泉首相が登場したときのあのマスコミの熱狂振りを見ると、どうも今のマスコミは全体として逆に振れているだけのような気がします。
百歩譲って、マスコミが振れやすいのは仕方がないとしても、問題はどのマスコミも同じように振れることです。小泉さんに非常に厳しい見方をするマスコミがある一方で、どちらかと言えば同情的なマスコミがあってもいいはずです。見方が分かれてこそ、健全だとも言えます。後世の歴史家ならいざ知らず、同時代のことを評価するのは普通は非常に難しいものです。マスコミは現代史の証人というか目撃者ですから、その難しいことをやらなければなりません。だからこそ評価が分かれても、不思議はないのです。
小泉さんの場合は、マスコミが一致して持ち上げ、今になると一致して叩いているようにすら見えます。これはマスコミの「談合」である、などと言うと僕が袋叩きにあうのかもしれませんが、やはり他のメディアとは違う視点を提供してこそ、意味のあるメディアであるような気がします。
マスコミ、信用していますか?
違う意見があることを認めて、その意見がおかしいのなら論理的に批判するのはおおいに結構なことですが、感情的な世論のうねりをあおるようなマスコミのあり方は、あんまり気持ちがよくありません。いろいろな調査によると、マスコミを「信用しない」という人はかなりいるのですが、それにしてはマスコミの論調に世論が左右されているように見えるのはなぜでしょうか。
みなさんにお尋ねします。マスコミを基本的に信用しますか。信用していないのなら、世の中の情報をどのように選別されていますか。