自分で考え、自分で選び、自分で行動する。意志のある人たちが集う“場"それがイー・ウーマンです。 サイトマップお問い合わせ| english
ewoman検索: 過去のサーベイ検索
HOME CAREER@ NEWS@ MONEY&REGAL BODY@ SOCIETY@ ACTIVE LIFE@ 6ジャンルについて
>>> 旧リーダーズ/メンバーからの移行登録について
イー・ウーマンとは
参加する
円卓会議 働く人の
円卓会議
表参道カレッジ 人から学ぶ、
人と学ぶ

表参道カレッジ
国際女性ビジネス会議 国際女性
ビジネス会議
読む
winwin対談 佐々木かをりの
win-win対談


ホーム>ニュース@>池上彰の『解決!ニュースのギモン』
ニュース@
池上彰の『解決! ニュースのギモン』
〜イー・ウーマンリーダーズの「?」に答えます〜
dot
第15回(2) 2006/02/21
「竹島問題」とはなんだろう

dot
ページ|1234バックナンバーを見る
<1ページ目からの続き>

古文書の解釈めぐり対立

 日本も韓国も、この島について書かれた歴史文書の文章を引用して、それぞれの領有権の正当性を主張しています。しかし、同じ古文書を引用しても、文章の解釈が異なり、論議はかみ合っていません。しかも、かつては竹島の北西にある鬱陵島(うつりょうとう・韓国領)を「竹島」と呼び、竹島を「松島」と呼んでいた時代があるため、話はややこしくなってしまいます。

 この問題をめぐり、とりわけ韓国が神経を尖らせるのは、かつて日本が韓国を支配していたという歴史問題が存在しているからです。島根県が竹島を自県に編入した1905年は、韓国にとって屈辱の年だったのです。

 そもそも竹島が日本の領土になったきっかけはアシカでした。竹島にはかつてアシカが多数生息していて、1903年、隠岐島の人が皮革をとるためのアシカ猟を始め、翌年になって、この島を日本の領土に編入して自分に貸与するように明治政府に申し入れたのです。これをきっかけにして、明治政府は、ここが無人島でどこの国のものでもないことを確認したとして、1905年1月、日本の島根県に所属させることを閣議決定しました。

 これを受けて当時の島根県知事は、竹島を島根県に編入する告示を出しました。これが、2月22日だったのです。その9か月後の1905年11月、日本は韓国(当時は大韓帝国)の外交権を握りました。日本が大韓帝国を属国としたのです。

 そして1910年には、日本は大韓帝国を日本の一部にしてしまいます。これが「韓国併合」です。この後、日本が第二次世界大戦で敗北するまで、朝鮮半島は日本の植民地でした。韓国の人にしてみれば、「日本は朝鮮半島を植民地にする戦略の一環として、韓国の領土である独島を奪った」ということになります。

 いまになって島根県が「竹島の日」を制定すると、韓国では、「日本は再び朝鮮半島に対する領土的野心をむき出しにした」という受け止め方をする人がいるのです。

戦後、竹島をめぐって争った

 第二次世界大戦で敗れた日本は、朝鮮半島を放棄します。このとき、竹島まで手放したかどうかが問題になりました。連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が、1946年1月、日本政府の行政権が及ばない島々を列挙する指令を出したとき、その中に竹島が含まれていたからです。

 ただし、このとき同時に、これらの島々が最終的にどこの国のものなるかを定めたものではないということも書いてありました。最終的な決定は別に定めることになっていたのです。

 ところがその後、連合国軍として、竹島について方針を出さなかったため、韓国は、「これで竹島が日本のものではない(つまり韓国のものである)ことが決定している」と解釈するのです。1951年9月、日本は連合国とサンフランシスコ講和条約を結び、日本の独立が回復しました。この条約の中で、日本の領土について、日本は「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」を放棄することが書かれています。放棄する島に竹島が含まれていないのです。これを根拠に、日本は「竹島は日本が放棄していないのだから日本領だ」と主張しています。

 これに対して韓国は、「名前が出ている島は単に例として挙げられただけであり、竹島の名前が例示してなくても、日本が放棄した朝鮮の領土に含まれる」と主張しています。さらに、「韓国はサンフランシスコ講和条約の締結国ではないので、講和条約に関係なく自国の判断で領土を決定できる」とも主張します。

 1952年1月、当時の韓国の李承晩(イ・スンマン。当時の日本は「り・しょうばん」と呼んだ)大統領は……

記事の続きを読む続きを読む
dot
前のページに戻る 前のページに戻る
dot


池上彰(いけがみあきら)プロフィール
松本市出身。1950年生まれ。
慶応義塾大学卒業後、1973年NHK入局。報道記者として、松江放送局、呉通信部を経て東京の報道局社会部へ。警視庁、気象庁、文部省、宮内庁などを担当。1994年より2005年3月までNHK「週刊こどもニュース」でお父さん役を務める。2005年3月にNHKを退社し、現在はフリージャーナリストとして活躍。
著書に『そうだったのか!アメリカ』『そうだったのか! 現代史』『相手に伝わる話し方』『池上彰の情報力』など多数。

佐々木かをりのwin-win対談:池上彰さん

池上彰の
『解決!ニュースのギモン』

→ 今週のギモン
→ バックナンバー
→ 池上彰さんとの対談
〜ニュース@トップページ〜
池上彰の
『解決!ニュースのギモン』
現在進行中のサーベイ
イー・ウーマン編集デスク
ニュースヘッドライン
PHOTOリポート
→ 「詳しくはこちら」
→
イー・ウーマンサイトトップページ
世界中のリーダーズから届く写真つき記事を掲載中!
イー・ウーマンオリジナル手帳 アクションプランナー 2007年版 好評発売中!
 
e-shop
メロンリペア メロンリペア
15万箱 突破!
抗酸化サプリメント
アクションプランナー アクション
プランナー

時間が見える大人気の手帳
ビジネス
イー・ウーマンに依頼する イー・ウーマンに
依頼する

イー・ウーマン調査 働く女性の調査
マーケティング&ブランドコミュニケーション マーケティング
ブランディング
コンサルティング

講演・研修のご依頼 講演・研修のご依頼
メディア掲載一覧 メディア掲載一覧
取材のご依頼 取材のご依頼
リンク
ワーキングウーマンの意識調査 asahi.com
私のミカタ
佐々木かをりのブログ 佐々木かをりの
ブログ

kaorisasaki twitter 佐々木かをりの
Twitter

 ©2000-2009 ewoman,Inc. 個人情報について利用規約各種お問い合わせ・お申し込み会社概要| english