アメリカで「しんどい」と感じる時(2002年8月30日)
出張勝也(でばり・かつや)
株式会社オデッセイ コミュニケーションズ代表取締役社長
この原稿は、マンハッタンのホテルで書いています。1週間ほどで西部のユタ州と東部のニューヨーク、2カ所を回り、明日日本に帰ることになっています。この2カ所は同じ国とは考えられないほど、まわりの景色(自然)や気候が異なり、時差も2時間ほどあります。アメリカの素晴らしさは、この自然と、人種の多様性がもたらすダイナミズムです。
その反面、アメリカでは、それら多様性やダイナミズムの結果として、「しんどいなあ」と感じることがあります。
今回もアメリカ国内の移動で飛行機に乗るときには、”Random Security Check”に引っかかりました。搭乗直前の乗客をランダムに選択して行われる身体検査です。昨年9月11日のテロ事件以来、飛行機に乗るときには、アメリカの各空港で行われていますが、僕の場合は、国内便に乗るときは、”Random”ではなく、「必ず」身体検査に引っかかります。
もしかすると、僕の人相がよくないということなのかもしれませんが?! それにしてもいつも要求されると、”Racial Profiling”という言葉があるように、特定の人種は必ずチェックするように指示されているのかと疑い深くなることがあります。
ホテルの部屋では、仕事をしているときもテレビをつけていますが、報道中心のチャンネルでは、アメリカ軍によるイラク攻撃の可能性、その是非に関する議論が行われています。世界の警察の役割を自負しているアメリカにとって、中東和平はあまりにも大きな、直面せざるをえない課題です。
一方日本は、中近東の石油なしでは生きていけない国でありながら、国際社会の中で、イスラエル・パレスチナ問題、イラクの核兵器開発に対する見識や立場を表明することもなく、それを求められることもありません。それは、他人事としか思っていない無関心な政治家と国民がほとんどだからではないでしょうか。
日本の中で、日本語を使いながら生活し、日本語のテレビを見ている限りは、あまりにも遠い世界の話でしかありませんが、アメリカでは、中近東の出来事に対しても、少なくとも知的な人間であると思われるためには、自分の立場を明確にすることが要求され、そのための勉強や思考も必要なようです。
人種の問題にしても、国際社会の軍事的、政治的問題にしても、考え続けていくことは結構「しんどい」ことです。
明日、J.F.ケネディ空港で日系航空会社に乗って帰国するときには、”Random Security Check”に引っかかることもなく、日本人客室乗務員が日本語で「お帰りなさい」と声をかけてくれることでしょう。それとともにアメリカでの「しんどい」の記憶がすこしずつ薄れていく自分がいます。日本語の世界に帰っていくことで、アメリカが背負い込んでいる「しんどさ」からすこしずつ遠ざかっていく自分が。