The Language of Success?(2002年11月7日)
出張勝也(でばり・かつや)
株式会社オデッセイ コミュニケーションズ代表取締役社長
10月15日付けのThe Asian Wall Street Journal のReview & Outlook(社説に当たるもの)に、マレーシアのマハティール首相が、数学や科学の教育を、英語で行うことを提案したことに賛成する記事が出ていました。Wall Street Journalは、マハティール氏のこの提案が、英語をThe Language of Success、「成功に必須の言葉」であると認めているとして、好意的に取り上げています。
この記事の前提になっているのは、マレーシアの学校の卒業生は、英語ができることによって、外資系企業(その中には、日本の企業も含まれるのでしょうが)の採用対象になりやすい、あるいは英語のできる労働者が多くいる国は、海外企業の直接投資の対象となりやすいという想定です。
昨今の日本では、このような記事は、早期からの英語教育の重要性を強調するために利用されるのだろうと思います。
でもよく考えてみてください、本当に学生の英語力が高くて、外資系企業に採用されやすくなることがその国にとって、あるいはその学生たちにとって本質的に良いことなのでしょうか?
こう言っては、少々厳しいかもしれませんが、英語ができる子供にして、海外企業に雇ってもらいやすくしましょうなんていうのは、悲しい発想なのではないでしょうか? なぜなら、自国の企業は優れた独自の技術や生産力を持たず、職を作りだすこともできず、海外企業に雇ってもらわないと生きていけません、と最初から白旗を揚げているようなものだからです。
これまで以上に、われわれ日本人は、創造的、独創的なモノ作りをしていかないと競争の激しい世界経済の中で生きていけません。そのとき、必要なのは、半端に英語ができる「英語屋」なんかではないはずです。英語ができる日本人になったとしても、英語を母国語とする人たちとの競争にどうやって勝ち抜いていくことができるのでしょうか? 独創的なモノ作りの前提になるのは、われわれ日本人がこれまでの長い歴史の中で培ってきた文化、日本の自然の中ではぐくまれてきた感性、そして漢字文化を含む日本語を自分のよって立つ基礎とすることであると、僕は信じています。
もちろん、英語ができることはこれまで以上に必要になってくるでしょう。ただ、外資系企業に雇われることを目指して英語を勉強しているのでは、奴隷根性を自分から招いているようなものです。そういえば、この頃、幼児の段階から自分の子供に英語を勉強させるために、50万や、60万もするような教材を買っている(それもおじいちゃん、おばあちゃんの財布から)若いお母さんが増えているという話を聞きます。将来は、インターナショナル・スクールに行かせて、留学後は外資系企業で雇ってもらうことを、子供に期待しているのでしょうか?