どのような指導者が望ましいのか、ということを抽象的に語ることはできても、具体的に「こんな人」となかなか言えないところが苦しいですね。田中角栄元首相は、人間的な魅力は相当なものであったと聞いています(直接お目にかかったことはないのですが)。番記者が自分の子どもの誕生日まで覚えている田中首相に感激したというような話もありました。
しかしその田中さんですら、結局はロッキード事件で収賄の罪に問われました。首相という公職のトップにある人間にとって「収賄」はあってはいけない犯罪です。疑惑だけでも大問題なのです。残念ながら、その意味で田中さんという方は、僕の中では理想の指導者像にはなりません。
ぷり-むさんが書いておられるように、麻生さんだって、この難局にリーダーシップを発揮できれば、首相の器に近づける可能性がありました(今でも少しは可能性が残っていると思います)。それは厳しい現状を把握し、それに向かっていち早く日本政府としてのメッセージを発信することでした。過去の金融危機について、日本は解決したということを言うのではなく、なぜ日本が失われた10年になったのかを世界に向かって言うことだったのです。しかし麻生さんは「日本だけが経験者。他の国はみんな聞いてきたよ」と得々として語っていたのを見て、ちょっとがっかりでした。
日本国内においては、二次補正予算をなんとしても急ぐことが麻生さんの指導力発揮にはプラスだったでしょう。しかしこれも党内の思惑に押されて、後回しにしました。これが「政局より政策」と言ってきた麻生さんの二枚舌に見えたのです。
ここでふと振り返ってみると、こんなに指導者がいない、見あたらない政治にしたのは、いったい誰のせいなのかと思います。私たち有権者は、どんな政治家を私たちの代表にしたいのか、明確なイメージもないままに投票してきたのでしょうか。それとも私たちは、自分の属しているコミュニティをどうするかという身近な問題すら、人任せにしてしまっているのでしょうか。だから、政治家は自分たちの代表なのだという感覚を持てずにいるのでしょうか。
冗談ですけれども、KYは「空気が読めない」から「漢字が読めない」になって、最近は「国民がよくない」ということらしいです。
さて皆さんにおたずねします。2005年の衆議院総選挙で自民党は圧勝しました。その後、安倍さん、福田さん、麻生さんと選挙の先例を受けず、自民党の中でたらい回しの首相が相次いでいます。それならば、いっそ首相を直接選挙にするいわゆる首相公選制とか、大統領を直接選挙で選ぶ大統領制に変えるという選択肢もありそうです。リーダーを直接選挙で選ぶというのは地方自治では当たり前なのですから、国政もそうすればいいかもしれません。さて皆さんはこの首相公選制、あるいは大統領制への変更ということについてどうお考えになりますか。