

わたしの命と引き替えでもいいと実際に思った(サリー・28歳)
最近、一番大事な人を亡くしました。病死だったんですが、少しでも痛みが和らいだり、長く生きれるのであれば、わたしの命と引き替えでもいいと実際に思いました。本当に愛する人の為なら何でも出来ると思います。
瞬間の判断であればためらいはない(でん・既婚・33歳)
時々眠りにつく前にふと「今、目の前で旦那が殺されそうになったらどうするか」と考えることがありました。危機が迫っていて瞬間の判断ということになれば、かばって死ねるかなと思います。でも例えば心中などでは死ねないと思います。今では対象に子どもも入り、守る人が3人じゃわたし1人ではどうしようもないなと思うととても不安になります。自分が犠牲になることで、共に生きていく相手、子どもが助かるならためらいはないです。でも、一瞬の出来事に限ります。じわじわっと来るものは、やっぱり恐怖感も増してきて判断も鈍ると思います。

1にわたしの夢、2に学業、彼は3番目(ゆう・大阪・学生・19歳)
やっぱり自分が大事です。最近、彼が失業し、借金が出来ました。わたしが出来る限りサポートしたいけれど、学生やめて働こうなんて思えないですから。1にわたしの夢、2に学業、3が彼だと考えます。
自分が生きているから助けることができる(ジャイ子・34歳)
事故なんかでとっさにかばって……というのはあるかもしれないけど、普通の状況ではいくら好きでも人のために死ぬなんてことはありえません! 死んだら終わりじゃないですか。もちろん好きな人が大変な状況の時は、あの手この手で助けようとします。でも、それも自分が生きているからできる事。
家族や子どものために1日でも長生きしたい(なべなお・袋井市・既婚・40代)
10代後半から20代前半くらいの年齢の時は、この人のためなら死ねるかなあ……と思ったこともあったけど、よーく考えて見ると、何にも知らない世間知らずで、その時はただ夢中になっていたのかもしれない。結婚して家族が出来るとそんなこといってられないと思います。家族のために、子どものために、1日でも長生きして子どもの成長をしっかりと見届けてから、70歳くらいで死んでもいいと思います。老後は、あまり家族に迷惑をかけたくないものね。
「死」と「愛」を同じ次元では考えられない(rikaachi・浦和市・既婚・33歳)
「好きな人のために死ねる! 」と言いたいところだけど、NOですねぇ、正直言って。死なないまでも、犠牲になることは厭わないけど。「死」と「愛」を同じ次元では考えられないです。もし、自分を愛してくれている人が、自分のために死んだとしたら……と考えると、わたしは、その人が本当に自分を愛してくれていたのか、疑問です。

その人のためなら死ねるけど死なない(ゆずか・神奈川・未婚・26歳)
「死ねるか」と言われればYESだけれど、残される側の辛さを考えると、死ぬべきではないと思う。死んだ方はそこまででお終いだけれど、残される側は死ぬまでそのことを背負っていかなければならない訳で、それを愛する人に背負わせるくらいなら、「その人のためなら死ねるけど死なない」というのが一番心情に近いかと。
今はそんな気持ちになれる人がいない(きらり・未婚・28歳)
考えたこともなかったし、ちょっとショッキング。今、そんな気持ちになれる人がいないのは、少々さみしいような気がする。だけどもし彼からそこまで思われたら、重たいと思う。

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