

順位そのものの意味を考えて(mamisan)
優劣、もしくは順位をつけること自体は悪いことではないと思います。大事なのは、その優劣が、絶対唯一の尺度ではなく、ひとつの得意・不得意であると認識できるかどうかです。最近、ある公立小学校の運動会の徒競走で順位をつけることを、平等の観点からやめたというニュースを聞きましたが、個性や人格に優劣を付けられないことと、単なる一分野の優劣を混同しているように感じました。順位に対して、いかに客観的な視点を持つかに焦点を当てるべきだと思います。
優劣をつけないことがただのわがままを生み出しているのでは?(かな・九州・未婚・29歳)
今、社会に順応していくという内容よりも、自分であることだけを意識する、といった人格形成になっているように思えます。社会人としての最低限必要なしつけや、自分を活かしていくための、最低限必要な努力をするために、優劣というか、その人のいい所、悪いところを見つけることが必要ではないかと思います。最近の10代や20代前半の人たちを見ていると、わがままにしか見えません。このままでは、無秩序な社会になりかわらないとも思えます。

評価のみではなく心のフォローまでが責任(Donuts・既婚・30歳)
みんなが同じ才能をもっているわけではなく、分野ごとに優劣がついてしまうのもごく自然なこと。大人は、単に優劣の結果だけをふりかざすのではなく、劣ってしまった子には「たまたま、この分野で劣っていただけ」ということを、しっかりと伝えて励まし、優れた子には努力や才能を認めてほめて伸ばす、といった心のフォローをする責任があると思います。
劣等感を助長することも(ななこ)
わたしは運動がとても苦手だったため、運動会やマラソン大会は大嫌いでした。親や友だちがたくさん見ている前で、最後にゴールすることのみじめさを何度も味わってきました。勉強などの成績は、多勢の前で公表されることはあまりないのですが、運動はそうではありません。評価そのものは否定しませんが、習熟度別クラスなど、はためにはっきりわかるようなものはどうかな、と思います。
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