

親が試されると思います(ぼよん)
うちの父はずっと週休2日だったし、自分も大学からは週休2日がアタリマエの状況だったから、週休2日はゆとりがあるなぁと素直に思っています。娘は5歳、最近のわが家族の週末は、土曜日は車でおでかけ、日曜日は近場の公園に行ったり、美術館に行ったり、図書館に行ったり、商店街をぶらぶらして、夕食は家族で餃子やうどん、ピザなどをこねこねして作るのが日課になっています。共働きなので、2日間の休みは貴重です。子どもといかに面白く過ごせるかを、夫婦で平日にいっぱい考えています。わたしが考えるゆとり教育って「実体験」なんです。ゆとりがない場合、「せみは甘い蜜が好きです」なんて字や絵で解説されたものを知識として習得します。ゆとり教育は、実際に甘い蜜をつくって木に塗ったり、せみの鳴き声を聴いたり、体験に基づいた知識として習得できます。都会っ子の娘には、実体験が少なすぎるのです。だから、いかに実体験をさせるか、大人になるまでにいっぱい体験させたい、その思いが強いです。そのためには週休2日はアタリマエだと思うし、親も努力しなくちゃ。目で勉強するんじゃなくて体全体で学んでほしいから、わたしたち夫婦は、あーだこーだと子どもと一緒になって日々考えています。とにかく、本当は毎日遊んでいたい。でも、親がネタギレになっちゃうかもしれない……(笑)。
選択の余地という「ゆとり」が生まれます(奥沢すずめ)
子どもが学校に上がって初めてわかること。ゴールデンウィーク以外、気候の良い時には旅行も何もできない。好むと好まざるに関わらず民族の大移動に加わざるをえないこと。サラリーマンには有給休暇があっても子どもにはないのです。毎週連休があれば家族のレジャーも広がります。勉強にしたってそうです。すべての子どもに合う教育などできっこないのです。学校教育の標準を高めてできない子の「お客さん」を増やすか、低くしてできる子にお客さんになってもらうか。より多くの人の選択の余地を考えると後者でしょう。できる子は塾に行く、参考書で自習する、いろいろな選択肢があります。
教育改革を外国に倣ってもいいのでは(けい)
あまり安易に外国の育児や教育に倣うということは嫌いですが、これに関しては欧米に倣ってもいいのではと思います。週5日しか行かなくても、有能な人材はちゃんと育っていますよね。少し古いですが、子どもたちの休みの日は住んでる地域でスポーツをしたり、親の離婚で一緒に住んでいない親の家に行ったり、ガールスカウトの集まりに行ったり、また有名プレップスクールの子でも、自分のつくったアクセサリーを売っていたり(これは大きな勉強になると思いますよ! )、健康的で「生きる力」を養っていると思いますよ。日本は今まで週6日学校に行っても東大が世界で30位ぐらいのランクにいるんじゃ、小学校から大学まで教育の根底から改革しないと話にならない。ゆとりって何なのでしょうか。学問はきっちり学問として教えてほしい。ただ、ついていけない子のために、セカンドチャンスや再起復活戦などのオプションを用意する。がんばってもできない子については、勉強ができなくても誇り高い人生があることを学校でも教えればいいのではないでしょうか。

要は中身(シータ)
時間さえ多ければいいというものでも、少なければ学力が劣るというものでもないでしょう。新入社員のコたちと話していて気になるのは、発想が紋切り型なこと。自分の行動を自分で考えて取捨選択することができない。お勉強はできたのだろうけど、あまりにも好奇心がないし、あまりにも発想が貧困だし、あまりにも応用が利かない。学力ばかり追求するのではなく、判断力を育成することが大事だと、痛切に思う。それにはどうしたらいいのか、具体的に提案できないのがもどかしいけれど。たぶん学校週5日制はおおかたの子どもにとっては大してゆとりを生まない結果になるのでは?とりあえず円周率が「およそ3」てのはいかがなものか。学力向上はもちろん、考える力を養うのにも役に立ちそうもないだろうに。
価値観が貨幣価値であることに問題(mayumit・東京・既婚・40歳)
わたしは、学校の週休2日制にかかわらず、日本の価値観が貨幣価値であることに問題があるのではないかと、常々考える次第です。お受験等に関しても、そういう親の価値観からきているような気がします。子どもになりたい職業がありそのため勉強しているというよりは、親の願望からではないでしょうか。人それぞれですので、それがどうのとは言いませんが。たしかに、指標としてお金はわかりやすいですが、心の豊かさはお金では計り知れないのではないでしょうか。おいしい、楽しい、おもしろい、なんだか元気になった、すばらしいと感じる気持ち、そういう風に感じとれるゆとりをめざしてほしいですね(基礎期としての小中の時期にのんびりと学問を行うというのが週休2日とは、時間をひとつのゆとりとして考えているのでしょうが、少し違うように思います)。ゆとりの作り方は、子ども自身があみだすことに意味があるように思います。その反面、地域とのかかわり、異年齢とのかかわり、教科担任などの新しい試みが始まりつつあり、先生方の多様化も取り入れられているのはいいことだと思います。
できる子とできない子の二極化(けろろん・北海道・既婚・33歳)
学校の先生に聞いたところ、ゆとり教育の導入で、生徒の層が勉強ができる子とできない子の二極化が進んだとのこと。以前は学力が中間層の子が大部分を占めたのに、ゆとり教育の導入で、意識のある親は塾などに通わせ、意識のない親はそのままにしており、学校のレベルが下がるにつれ、どんどん子どもの学力も下がっているとのこと。従来なら、塾へ行かなくても学校の勉強+アルファぐらいで結構いい成績を修められた子もたくさんいたのに、ゆとり教育の導入により、結局は親にお金があって塾に通わせられる子だけが学力をつけるということになりかねません。子どもたちが学力をつけるチャンスを奪ってはいけないと思います。「ゆとり」とは自分で生み出すもの。ふだん一生懸命に勉強したり、仕事をしたりするからゆとりもまた生きてくるのだと思います。自らゆとりを作り出すことも大切だと思います。子どものうちはゆとりを作るのに親のサポートもいると思いますが、とにかく「ゆとり教育」は本末転倒だと思います。
「ゆとり」って教育することなのか?(hamaiso)
数年前、M省のお偉方を連れて某県の理科教師の勉強会に行ったことがあった。それは、学校週5日制に伴う学習指導要領の改正についての講演だったのだが、参加者の先生方は「小中学校で身につけるべき基礎力をつけず、高校で実験ばかりやらせても理解できているとは言い難い」「進学する子だけではなく、社会に出る子にも教養としての理科を身につけさせたいのにそれができない」等々、なかなか現実的な意見が出ていた。それに対するお偉方の答えは「それ以上のことを勉強したければ、自由選択科目で取らせりゃいいだろう」「今までの学習指導要領だって、基礎力が身についたかといえばそうではない」「わたしが考えた新指導要領ではないから知らない」等々の無責任な発言のオンパレードで、随行していたこちらが恥ずかしくなるほどだった。「ゆとり、ゆとり」と喧伝しているが、「ゆとり」の感じ方は人それぞれ。自分で作り出すものであり、人から教育される類いのものではない。このような状況の中で、受験制度は変わらないわけだから、逆に「教育貧富」のような格差が出てくるのは必至だろう。

生きる力(ころりーな・東京・未婚・28歳)
学校の先生に求めるのは、まさしく指導要領にある「生きる力」を伸ばすこと。けど、学校の先生って生きる力のある人ばかりではないところが問題かな。子どもを伸ばすことのできる先生がいる一方で、安定していると親に勧められて教師になる人や、登校拒否になる先生や、学級崩壊させてしまう先生がいる現状では、指導要領に綺麗な言葉を並べても難しい。実際は学校独自の学習の時間も、英会話やPCレッスンにしている学校って多いし、学校側もノウハウがなくて戸惑っているのでは?
社会経験を積んだ先生を(himetaro)
先生の当たり、はずれは親の考え方に左右されるので難しいところですが、今のように学卒後、即教壇に立つのではなく、一定の社会経験を積んでから教師になるシステムにすればよいのではないでしょうか?学校の勉強が社会に出てからも必要であり、その基礎を身につける重要性を子どもたちに教えることもこれからの子どもには大事なことではないかと思います。また、子どもの一人ひとりを素直に観察でき、個性を引き出す力を教師はもっと磨いてほしいと思います。なお、話が戻ってしまいますが、土日の使い方では親子でいろいろ楽しく過ごすべきとの意見がありましたが、本当にずっとそんなことできますか?土日は毎週くるのですよ。ほどなくネタ切れになるのは目に見えています。「子どもの教育は学校だけではない」というのは、この「ゆとり」教育を正当化するためにこじつけられたものにすぎません。介護がいつのまにか在宅介護にとってかわったのと同じ、本来、国がすべきことをどんどん家庭に押し付けていることに気付いてほしいと思います。
もう少し授業時間を有効に(HEIDI・既婚・38歳)
2人の小学生の子どもがいます。週休2日とか学習内容が大幅に削られるとかの問題以前に、いかに公立小学校(私立は知りません)の授業時間が馬鹿げたことに代えられているのかを声を大にして言いたいです。例えば「遠足の並び方」「登校班の並び方」「掃除の仕方」などで授業がつぶれ、運動会や卒業式の練習の多さ、それから総合学習では履きもしないワラジ作りに10時間はさきました。無駄の多いこと……。週休2日で世間は大騒ぎしているけど、ゆとりとかいう前にもう少し時間を有効にしてほしい。
わたしたちに「ゆとり」はあるのか(Jasmine)
まだ子どもが小さいので直接的な問題としての関わりは生じていませんが、「ゆとり教育」が話題になるたびに考えるのは、わたしたち自身は果たして「ゆとり」について議論できるほどゆとりのあるオトナであるか、ということです。実は子どもに対してだけではなく、大人も含めてその内容や意味について考えていくべきではないかと思います。
子どもに多様な生き方の選択肢を与えるものでなければなりません(べんじゃみん)
私立一貫中・高の教員です。勤務先はもう数年間週5日制です。で、生徒は部活に行ったり、塾や習い事に行ったり、家族で出かけています。ただ、これでも進学実績に大きな落ち込みがないのですが、結局はそれは「私学だから」。そう、文部科学省の指導要領を外れた高度な内容を教えているので、「短時間でも高能率」ということなのです。今の公立の方法では、ただやることの量を減らしただけで、これでは大学受験に対応できないのは当然です。公立高校から有名大学を狙うためには、高校での勉強が本当に詰め込みになります。教科書が、昨年までと比べて本当に薄くなったと同僚同士で話し合っています。そして気になるのは、今の子どもへの進路指導は「勉強ができる」ことにばかり重きを置いていること。でも、現代はこれだけ価値観や生き方が多様化しているのですから、どんな職業でも一人前に食べていけるようになれば良いはずで、そして、大人はその選択肢を与えれば良いのではないかと思っています。

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