

文部省指定の給食活動重点校!(はごら・東京都・30歳)
大好きでした! 特に小学校。自分のとこの給食室で作られていたので、お昼前になるとよい匂いがたちこめて、ちっとも授業に集中できませんでした。文部省の研究指定校かなにかで、給食活動に力の入った学校で、違う学年の人と食べたり、机にテーブルクロスをかけたり、黒板に教科書に出てくる単元の主人公(くまのこウーフとか。お母さんたちの手作り)のカーテンがかかっていたり、お誕生給食があったり(誕生月の人だけ特別ルームに呼ばれてお赤飯とか、牛乳ではなくオレンジジュースとかが出た! )。とにかく「小学校の給食をまた食べたい! 」と同窓会で多くの人が言うくらい。わたしの一番のメニューはやきそば+子どもパン+フルーツポンチかなぁ……長文をしたためるくらい強烈な思い出だった、ということですね。
理想は青い空の下(みぽりん・海外・28歳)
スパゲッティナポリタン、五目豆、やきそば、給食大好きで育ち盛りの6年生の時にはおかわりしてました。教室じゃなくてもっと青い空の下で食べられたら気持ちよかったんじゃないかな。アメリカだとカフェテリアの外にだいたいピクニックテーブルとベンチがあるのですが、日本でもそいう環境があるといいなーって思っていました。
体が丈夫になったとたん!(k-mama・既婚・45歳)
小学低学年の頃まで、身体があまり丈夫でなかったのでどうしても給食がのどを通りませんでした。特に揚げパンとカレースープと言う取り合わせは泣き泣き……という感じ。ところが高学年になってスポーツクラブに入り身体が丈夫になったとたん、もう美味しくて、お代わりできるようになりました。その後、小学校の教師となり給食は年々美味しくなっていくような気がしていました。今は退職して家にいますが、安全で美しく楽しく食べられるためにはどんな食器が良いのか勉強している所です。
小さな発見の喜び(葉子リーヴズ・38歳)
味だけのことを言うなら、母の料理の方がずっとおいしかった。味に深みがなかったし。でも、クラスメイトと食べる給食は楽しくて、味のことなんて全然気にならなかった。友達とおしゃべりしたり、わたしの気になる●●君は鳥肉のから揚げが好きなんだ、なんて小さな発見をして喜んだり。友達と大勢で食べるって言うのは、今でもそうだけど楽しいんですよね。そんなときわたしは味は二の次になるのです。

毎日毎日居残り給食(yukita・岡山・未婚・40歳)
学校で一番キライだったのが給食の時間でした。毎日毎日居残り給食で、午後の授業は受けさせてもらえませんでした。今だったら問題ですよね。自分でもよく登校拒否にならなかったな、と思います。食べられない物を無理やり食べさせるのって、イジメに近いです。今でも「給食」と言う言葉はとてもとても嫌なイメージしかありません。
食文化への冒涜(kurikuri・41歳)
給食って、「エサ」だったと思っています。食べる楽しみなんて、微塵も感じさせてくれなかった。味がひどかったし、おでんに食パンだとか、メチャクチャな献立の組み合わせは、食文化への冒涜。最近言われている「食育」の見地からすると、まさに反面教師だったと思っています。中学はお弁当で、以来、給食と縁が切れたことはまことにラッキーでした。
「楽しく食べる」ことが置き去りに(hamaiso・未婚・28歳)
食が細くて食べるのが遅く、掃除の時間になっても泣きながら食べている男の子がいてかわいそうだった。また、月に一度、麺類を食べるための「箸の日」というのがあり、箸を忘れた子は「麺一本につゆ少し」という罰則を課せられ、犬みたいな格好で食べさせられた。偏食も箸忘れもその子が悪いと言われれば返す言葉もないが、大人になった今になって考えると、みんなで楽しく食べるという教育上の最も大切な目標が置き去りにされ、先生の欲求不満のはけ口にされていたような気がしてならない。だから「給食」という言葉にはいいイメージが持てない。
仲間はずれにされて……(アキコ・未婚・27歳)
おいしかったもの、好きな献立もありましたが、圧倒的に嫌な思い出が多すぎて、マイナスイメージです。好き嫌いが多いわたしはいつも半分くらいは残していました。4年生の担任が、残すのは一人1品という決まりを作ってからはますます嫌いになりました。仲間はずれにされていた時も班毎に食べなくてはいけなくて、机を1cmくらい離されたこと。自由な席で食べられる日も、一人になる人が出たら中止になってしまうので、必死で一緒に食べてくれる人を探して、何人もに断られたり……。嫌な思い出ばかりです。

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