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「日本は特殊だから」はもう通じない 2001年10月6日

異議あり!

「今回のテロについて、日本は戦わなければならない、と思う理由は、日本人も殺されているからではありません」と断言なさいますが、どうしてそれだけで、理由になってはいけないのでしょう、とわたしは思います。というより、むしろ、それだけで、本来だったら、日本人が奮い立たなければいけない理由なのに、と思います。 自国の国民が傷つき、死に、しているときに、どうして一国が、その市民の自由と権利と、そして生命さえをも、非情な理由で奪われたという理由で、激怒し、その犯罪を犯したものを、追及し、戒め、罪の償いを規してはいけないのでしょうか?

「人類事」ですましてしまう。これは悪く言えば「他人事」で済ましてしまっていることと同じではないでしょうか。このようなときに奮い立たなくて、反撃しなくて、いつそうする、と言うのでしょうか? かつてのインドのガンジー首相のように、非暴力、を徹底する気が最初からあって、自分の身を危険にさらし、まして死ぬこともあるかもしれないが、それでもForce(力)は絶対に使わないという信念と決意があれば別ですが、今回のように、「人類の自由」とか「人類の平等」とかの、いかにももっともらしい名分のもとに、武力交渉に出る気が最初からあるのであれば、まず、「自国の市民を傷つけられた」という現実に反応しなくて、何のために、国民の税金で賄っている自衛隊なるものが、一国の軍隊(Forceを使えるもの)として存在するのでしょうか。

テロの熾烈な行為によって、国民が24人も(あるいはもっと)、他国で命を失ったことに対して、日本の政府はどう考えているのでしょうか。日本政府が、深い憤り、怒り、悲しみを感じなかったら、世界で一体誰が、どの国が、代わりに感じてくれるというのでしょうか? 小泉首相が訪米した時の、あの雄弁な英語のスピーチでも、その怒り、憤りは、まったく伝わってきませんでした。

根本は、「日本政府は、誰のためにあるか」ということです。世界のため、でしょうか? それはもちろん、世界の一員である、しかも経済的にも政治的にも重要な一員である日本ですから、世界の幸福とか、世界の安全とかを考えて行動する義務は、大いにあります。でもそれは、まず「日本人の幸福」とか「日本人の安全」を考えた後で、考える義務である、と理解してよいのではないかと思います。 日本人以外に、「日本人のため」をまず考え行動できる人間は、この世界にいないのですから。日本の政治家は、この事実に基づいて行動しているでしょうか? 外交は日本の、日本人の国益を守るために存在するんです。それはどの国でも同じです。優等生を装って、「国際社会の一員」などと、のたまわるのは、日本の国益を確実にしたあと、です。

日本は日本人の名のもとに戦えばいいんです。それをできるのは、日本人だけなのですから。(雪んこ)


「本質はサリン事件と同じ」に納得

今回のテロ事件について、一連の報道を見ていて、報復、目には目を、戦争、など物騒な言葉が飛び交い、少々とまどっていました。 アメリカってやることや言うことがどうも物騒だ、と感じてマスコミが戦争、戦争というのも不愉快でした。

しかし、「なぜ犯人を追わなければならないのか。それは社会の安全を守るためです」というところを読み、そうか、今回のテロは国家と国家の問題が絡んでいるから、「戦争」という言葉になるけれど、サリン事件のような事件の犯人捜査と、本質は同じなのか、と思い当たりました。無実の人を殺した犯人を、探し出す過程で、犯人を隠そうとしたりする組織が国家とかかわってきたりするから、国と国との問題、さらには世界がかかわる問題になってきたのか、とわかりました。

つたない、感想文になってしまいお恥ずかしい限りですが、こうして、eWomanというわたしにとって読みやすい媒体から、普段は読もうとしない硬い(私にとって)話題について自分の疑問や意見が出てくるというのは、いいことだなと思いましたので、メールした次第です。また、今回の文章は読みやすく、わかりやすく、私にとって勉強にもなりました。これからも楽しみにしています。(匿名)


日本は兵を出さなければならないのか?

藤田さんのテロ抑止意見には賛成できますが、日本が果たして実際に兵を出して戦わなければならないかという部分には疑問が残ります。今回のテロ事件は確かに世界のリーダーであるアメリカがイスラエルのいいなりになって中東和平工作にまるっきり背を向けていたことにあります。だからアラブ諸国は、表面ではアメリカを支援するようなことを言っているけれども、実際にはかなりアメリカに憤りを感じています。NATO諸国にしても、(イギリスはともかくとして。とにかくアメリカについていないと自国権力が維持できないので)アメリカに積極的に支援している国はありません。

もともとアメリカが唱える自由、平等そしてデモクラシーとは、アメリカがやりたいことをやり、それに周りの国は異議を唱えないことのような意味ではないですか。英日新聞に匿名で、いつからデモクラシーとはアメリカの大衆の暴力になったのだ、という投稿がありました。アメリカが初めて今回のことで犠牲者側にまわった。今回のことでアメリカ(政策)の犠牲者達の気持ちが少しはわかるかと期待したら、報復報復を叫ぶばかり。アメリカのような国のリーダーたる者の義務、責務は戦争を起こすことではなく、テロ撲滅のために世界のバランスをとるような政策をしていくことではないか、とありました。私はこの方の意見に100%賛成です。

自由平等を唱えているはずのアメリカの報道はまるっきりバイアスがかかっていて、政府から強い圧力がかかっているのが明らかです。米報道では、どこの国でもアメリカを全面的に支援し、アメリカの報復は絶対にその成功を見るようなことが報道されていますが、私はこのようなプロパガンダには拒否反応を示してしまいます。自由の国アメリカ、平等の国アメリカ。アメリカはこの現実社会ではまるっきり正反対であるモットーをキープするためなら他の国の文化、価値、宗教、あらゆるものを崩壊しても構わないと思っているわけです。藤田さんはタリバンを鬼っ子と書いていますが、私にしてみればアメリカこそがその最大たるものだと思います。イスラム教を排他しているのもアメリカでしょう。中東でやっと停戦合意がとれた矢先、イスラエルは何十人ものパレスチナ人を射殺しています。このような報道はあまり大々的にされていないのが事実ではないですか。一方的にイスラム教が悪者扱いされている理由はどこにあるのでしょうか。まずそれを考える必要があるのではないですか。

日本が今回もアメリカの犬となって、大したこともできないのに兵など送るようものなら、今まで日本には親交的だったイスラム圏がどのように反応するかわかりません。確かにテロ行為は許せるものではありませんが、今回のテロ行為にはどれほどアメリカとの奥深い因縁があるのか、それもきちんと認知しないままに、テキサス出身の現アメリカ大統領が味方になるか敵になるか、と発言したがために軽々と口、腰を浮かす日本も、まだまだ大国ではないことを世間に知らせているような気がします。日本はもし兵を出すのであれば、その後でテロの標的になる可能性が高いことも充分覚悟しておかなければならないでしょうね。一度アメリカと共に戦えばそれでどれだけの敵を作ることになるかも考慮しなければなりません。まあ、そのくらいの事は小泉さんも考えているとは思いますが。(匿名)


なぜ、あの惨事は起こってしまったか?

アメリカの過去の中東政策への非難と反戦の声が高まる、今、私が疑問に思ったことは、わたしたち、国際社会はなぜ今までここまでテロリストの暴挙を黙認してしまったのかということでしょうか?  アメリカは大国ですので、ある意味いろいろと厳しい目で評価されてしかるべきですが、大国なら何をしてもよいのかという同じ次元で貧しく失うもののない人たちだからといって(そのように映るだけですが)何をしてもよいはずはありません。ある意味、それはそのような国に暮らす人たちへの逆差別です。

いろいろな方の意見に触れるにつけ、アメリカの武力行使(あえて報復戦争とは言いませ ん。これは誤訳と思います)に反対する方たちはたくさんいらっしゃいますが、引き渡しを行わないタリバン、またはウサマビンラディンを非難する方はあまり(というかまったく)いらっしゃらないようです。

在米アラブ人の安否を気遣いはするが、イスラム勢力がアメリカ人狩りをすると声明を出したインドネシアのアメリカ人の安否を気遣う声は聞きません。どうしてなのでしょう? アメリカが大国だということで問題の本質を履き違えることはラディン氏のもくろみにまんまとはまっていることなのです。そして、このような風潮こそがテロリストたちをここまで育てた土壌なのではないでしょうか?(匿名)


視点を変えて国防を

国を守るというのは、何も外国の脅威から武力を用いて防衛するということだけを意味しているとは限らないはずです。いつかは来ると言われている大地震、台風や火山噴火など、こちらの脅威のほうがもっと身近で確率が高いのではないでしょうか。今、複雑で危機的な国際関係の中、自衛隊はどこかの国を何らかの形で攻撃するという事に加担をしようとしています。これが本当に国を守ることになるのでしょうか。

自衛隊は国を守るために存在するべきです。国を守るとは、海外の脅威と同列に、否、国民の生活感覚の中では一番に、神戸のような、もしくは世界貿易センタービル爆破などのような災害時に、国を守るという項目がくるはずです。その場合の「国」とは日本だけではないでしょう。「国」をどうやって守るか、その視点に立てば、この度の国際協力と称する戦争への加担に際しての、我々のスタンスも変わってくるはずです。

自衛隊が大地震のような災害時のスペシャリストという存在になれれば、「何をしましょうか」ではなく、日本は「専門は災害救助」ということで参加できるはずです。だとすると、報復攻撃の空母の後方にそんな役目はいらないでしょう。日本の役目は今、飢えている人々のキャンプにこそあり、そのために配備される場所は海の上ではなく、国境の難民キャンプのはずです。国を守るとはそういうことだと思います。そして経済や国際問題でもそうです。わたしたちは攻めて欲しいのではなく守って欲しいのです。特に不況下、将来への不安が広がる中、わたしたちが求めているのは安心に他ならないのですから。(匿名)



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