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日本人に「個」はあるか? 2002年3月2日
総入れ替えさせたい……
今は定年で日本にいますが、海外のいろんな場所で仕事をしてきた人が、「日本大使館は、全然日本人のために働いてなく、自分の私腹のためにいるだけで、何もしてくれない」と言ってました。その話と、田中氏は、外務省を「伏魔殿」と名付けたこととは、意外にも一致しているように思えました。そして今、鈴木氏のことや狂牛病などで、腐っている政治家たちを見て、ある主婦は、「子どもを留学させて、この日本を脱出しようかと思っている」と言ってました。みんなが、財布の紐を締めだしたことの一因は、こうした不安感にあるのではないかと思います。
日本人にも、いいところはたくさんあると思います。たとえば、昔からある「置き薬」ですが、あれは日本にしかないそうです。もし、アメリカなどでしたら、「置き薬」は、勝手に置いていった物だから、あの薬は、自分で売ってしまってなくなっているそうです。「置いておくほうが悪い」と言う考え方だそうです。そんな考え方にはついていけません。
いま、政治家と官僚が、国民の税金で何をしているかわからないご時世、全部ひっくるめて「総入れ替え」させたい気持ちです。でも、何の力もない貧乏一市民は、身近な所からがんばることしかできないのです。(匿名)
「国歌」に象徴される意識の違い
また、卒業式のシーズンがきた。「君が代」を歌うよう指導する文部科学省とそれに反対する団体との軋轢で、本来子どもたちの旅立ちを祝う儀式がぎくしゃくする。「国歌」を歌う歌わないでもめる国って他にあるのだろうか。この議論が始まると、主役の子どもたちは置き去りにされる気がする。アメリカの同時多発テロ以来、困難に一丸となって立ち向かうシーンで「国歌」が幾度となく聞かれた。わたしたちは、同じような場合に「君が代」で心を一つにできるのだろうか。疑問だ。(もなこ)
愛国心なき日本人を憂慮
わたしは日本人の愛国心がないことに少し憂慮の念を感じます。なぜなら、わたしたちの国に対するある種の無関心さは、まさしく45年にいたったあの全体主義の反動と、その後のアメリカ寄りの国の政策によるところが強いためです。反省の心が、わたしたちの国民の意識を空洞化させた面が否めないと思います。
今回のアメリカ人の愛国心は、国のために自らをいとわないところがすごいと思いました。それは究極的には、個人の自由を守るための犠牲なのですが、今の日本人がある精神的道徳的価値を守るためにそこまで身を削るとは思えません。アメリカに守ってもらえるという依存心を抱えたまま、個々人の国民は自らのエゴイズムを貫いているだけです。ヨーロッパに来る若い日本人の女の子は、何を求めてあんなに高い洋服やらバッグを買いにくるのでしょうか。
日本人というアイデンティティーをもてる日――自由を守ってくれる国への誇りをもてる日は、果たしてくるのでしょうか。そうならなければ、つまり物質的な満足ばかり追い求めて、精神の強さのない国民でありつづけるならば、遅かれ早かれ没落していくことは、歴史上の真実です。(匿名)
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