日本人に「個」はあるか?
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年3月2日
今回はニューヨークから書いています。JFK空港についてタクシーに乗ったら、ダッシュボードに星条旗がたたんでおいてありました。運転手に「なぜ星条旗をおいてるの?」と聞いたら、「連帯を示すためだ」との答え。「もし旗がなかったら、何かトラブルがあるのか」と再度聞いたら「いや、別になんともないよ」。
まだここに着てから2日もたっていないので、アメリカが昨年の9月11日以来、「愛国心」のかたまりになっているという印象はありません。ただソルトレークで行われた冬季五輪では、判定をめぐっていろいろ言われました。アメリカが愛国五輪を演出したとか、それに押されて判定もアメリカ寄りになったとか……。まあしかし、いわゆる「ホームタウン・デシジョン」はいつものことだし、地元選手が活躍するのは異例でも何でもないでしょう。現に長野のときも、日本選手が前評判以上に活躍したのではなかったですか。
愛国心とかナショナリズムとかいう問題に触れるとき、どうもわれわれは「萎縮」してしまうようです。「あなたは国に忠誠を誓いますか」と聞かれたら(そう聞かれることもめったにないのですが)、なんと答えますか。僕などは、「国」って何なのかとつい思ってしまいます。国は私たちを守ってくれているのでしょうか。何かことがあっても外務省の動きはことのほか遅いように見えるし、海外にいる人はよく「政変が起こったらよその国の大使館に駆け込め」とも言います。
同時多発テロのときも、日本の政府として国民を守るために何をするのか、という議論は抜け落ちていたように思います。アメリカにどう評価されるかとか、湾岸戦争のときにお金を出しても評価されなかったトラウマにとらわれて、インド洋に自衛艦を派遣しました。反対派ももっぱら憲法に照らして自衛艦の派遣が適当かどうかを追及しただけで、国民を守るために何がベストなのかという意見はなかったように思います。
日本人というアイデンティティは、現在の政府とはあまり関係ないのかもしれません。日本語を話し、伝統や歴史を受け継いでいることがアイデンティティそのものであるような気がします。そこには歴史を肯定的に見なければならないということもないし、逆に否定的に見なければならないということもありません。それぞれの個人が、伝統や歴史をもっと自由に「消化」し、発展させていけばいいのではないでしょうか。それが自由ということだと思うのです。
日本のあり方とアメリカのあり方は異なります。国としての成り立ちも違います。アメリカ的な愛国心が鼻につくこともありますが、それでもアメリカ人の友人と話していると、彼らは「個」であることを大事にしているように感じます。まず「国」ありきなのか、まず「個」ありきなのか。これは西欧民主主義が発展してくる過程でも大きな問題でした。簡単に言ってしまえば、王権に対して個を守るための民主主義的政府であったからです。だから政府が行き過ぎた規制をしようとすれば、常にマスコミがかみつきます。権力は常に監視されるべきだという考え方は、個人の権利が侵されてはならないからです。
私たち日本人は、たとえば天皇の圧迫に対抗して民主主義的な政体をつくったわけではありません。だから日本の民主主義はおかしいというつもりはありませんが、ところどころに顔を出す政治家やお役所の「お上意識」はどうもこのあたりに根っこがあるように思えます。そんな日本を変えるには、やっぱり私たちがいかに「自立した個」になるかが最優先されるべき課題ではないでしょうか。みなさんは、どのようにお考えになりますか。