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メンバーの視点

報道とプライバシー、ぶつかり合う原則と原則(2004年3月20日)

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「表現の自由」の意味するところ

そもそも「表現の自由」とは思想・信条を公に発表することが規制されない自由であるとか、芸術表現に対する自由という意味なのではないでしょうか。私人のプライバシーを勝手に公にすることが「表現の自由」の意味するところだとは思えません。

こういう問題が起きるたびに、どの出版社も「表現の自由」という言葉を使いますが、多くの国民は出版社の「より多く売りたい」という狙いをちゃんと見透かしていると思います。そのときは話題を呼んで一時的に売れるかもしれませんが、私人や犯罪被害者のプライバシー暴露を続けていけば、そのメディアは静かに、しかし確実に自らの価値を下げ、読者からの信用を失っていくのだと思います。(葉子リーヴズ)

ジャーナリズムが本当にフェアか?

メンバーの意見は藤田さんよりしっかりしていて、わたしもそう思う!というものが多いと思います。言論の自由が問題になっているところの論点をずらすようで申し訳ないのですが、自民党はきっと公安のような組織があって、潤沢なお金を使って気に入らない人間を葬っているのではないかと思っています。辻元清美さん、古賀潤一郎議員、田中真紀子さん。古賀議員の学歴詐称はよくないけど、これがどうしてばれたのか、辻元さんもどうしてばれたか、陥れるためにかぎ回る自民党がいて、それに書かされるマスコミがあるような気がします。ジャーナリズムが本当にフェアか? 太鼓持ちのような首相番記者がいるじゃないですか?(ミツチ)

報道の自由に伴う責任

今回の文春の問題は、プライバシーと報道の自由との問題だといえるのでしょうか。わたしは、大手マスコミが報道の自由の名の下に何でも書くことが許されるのか、すなわち、報道の自由は、どういう責任を伴うのかということです。

大手マスコミは、報道するときは大々的に宣伝しますが、おわび記事は、ほんの申し訳程度です。立場上の非対称性に目を向ければ、文春は今回のどこに報道の自由を主張できるだけの価値があるのかを説明すべきだと思います。田中代議士の娘は格好の取材対象ですが、個人の人権も報道の自由と同じ法的価値があるのです。マスコミのやりすぎを報道の自由で正当化するのは、かえって民主主義を窮地に陥れる危険があると思います。(A6M2)

報道の自主規制をもっと強めるべき

藤田さんの論点は、常に的確に核心を突いていらして、すばらしいなと思います。報道とプライバシーの問題は、しばしば「報道の自由」という論点から論じられることが多いですね。この論点には納得できないものがありましたが、ぶつかり合う原則と原則という論点には納得できました。書かれた側の救済は、出版後の賠償請求しかないということも納得できます。ただ、誘拐報道のように人の命がかかわっていることについては、報道後の賠償請求では済まないものがありますので、報道の自主規制をもっと強めるべきではないかと思っています。この点が日本のマスコミはかなり甘いように感じています。

また、報道された側の賠償請求も、弁護士費用などについて、なんらかの援助があってもよいのではないかと思います。理由は、報道する側と報道される側には大きな力の差があるからです。資金力があり、顧問弁護士なども抱えている出版社やテレビ局に、個人が立ち向かうのは事実上、不可能に近い。田中真紀子さんのように資金力のある方は別として、一般人は、結局は泣き寝入りするしかないのが実情ではないでしょうか。

わたしはここ一年あまり、北朝鮮問題、ことに脱北者の問題にかかわってきました。昨年秋、ある女性を脱北させたのですが、その際、NHKが不用意な報道をしたために、大勢の人の命が危機にさらされました。彼らは捕らえられてむごい拷問を受け、現在も厳しい監視下に置かれて餓死寸前の状態にあります。その救済のために莫大(ばくだい)なお金が必要になっているのですが、NHKは報道の自由を盾に、一切の賠償には応じません。裁判でもして賠償請求すればいいということでしょうが、こちらには裁判をするだけの資金的な余裕も時間的な余裕もありません。そんなお金や時間があるなら、それを北の人たちのために使ったほうがいい。裁判は断念するしかありませんでした。

わたしも報道する側、報道される側の両方を経験していますので、この問題の難しさはわかっているつもりです。簡単に結論が出せる問題ではありませんが、マスコミにある種の傲慢(ごうまん)さが生まれたとき、救いようのない事態になるのではないかと懸念しています。(eiko71)

過剰反応ではないのか

わたしも出版差し止めはやりすぎのように思います。おまけに、販売も完全には止められていないところから、結果的にとても中途半端なものになっています。販売前にここまで強硬な措置を取らせる影響力がある、ということ自体、田中家が特別だと、うがって見てしまう節もあります。だとすれば、プライバシーの保護に値するのだろうか、と疑問です。だいたい、離婚騒動なんていまどき珍しいことでもないと思うので、過剰反応ではないのか、とその記事も読んでいませんがそんな気がします。(はるたいママ)

覚悟と責任をもって

報道の自由とプライバシーの保護を考えた場合、優先すべきはプライバシーでしょう。なぜなら報道側の大半は強者(組織)であり、報道される側が弱者(個人)であるからです。今回は対象が田中衆議院議員の長女ということで「弱者の中の強者」であり、速やかに裁判所に訴えることができましたが、これが一般市民の「弱者の中の弱者」であった場合はどうでしょう? ほとんどが泣き寝入りじゃないでしょうか?

しかし藤田さんが言われているように、書かれる前から違法行為だと主張することは難しいでしょう。しかし強者の横暴を許すわけにはいきません。わたしの結論としては、裁判でプライバシーの侵害が認められた場合には、報道側に懲罰的な賠償金を課すべきだと考えます。たとえば今回の場合には10億円程度でしょうか。報道側は、それぐらいの覚悟と責任をもって報道していただきたいです。(いまいくん)

別の切り口から戦うことはできなかったのか

差し止めというのはたしかにおかしいと思います。しかし、記事を読んだわけではないので、電車の中吊りで見た限りの見出しの感想を言うと、文藝春秋ともあろう立派な出版社の「国民の知りたい権利」の内容があんなものかと思うと情けなくなります。過去にいろいろあったとしても、もっと別の切り口から戦うことはできなかったのでしょうか。文春に限らず、ほかの「立派な」出版社の出す週刊誌も、概して子どものいじめみたいな記事ばかりで、ここ数年よっぽどのことがない限りお金を出して買っておりません。(Pururu)

人権保障の認識が進歩した?

一般市民としては、権力というものを感じる出版差し止めです。しかし、「公人にプライバシーも人権もない」と思うことは、これまでもあったので、人権保障の認識が進歩したのかなとも思います。(きんかん)

物事がおかしなところにいって

田中真紀子さんの長女に関することですが、差し止めは妥当だと思います。娘さんは、あくまでも私人であって、公人ではありません。それなのに、立候補するのかもわからないのに、公人であるかものようにふまって記事を書くのは、私生活やプライバシーの侵害につながる恐れがあります。そのようなことをして、物事がおかしなところにいき、言論の自由などの規制につながるようなことになるほうが、怖いです。(ミツナリ)

「書かれない権利」は存在する

「書かれない権利」は存在するとわたしは感じます。たしかにメディアの差により、プライバシーの保護というものには「時間差による差」が発生するでしょう。しかし、書かれる側がその内容を事前に知り得るのであれば、その公表を停止させる権利はあると考えます。書く側が「表現の自由」や「知る権利」を安易に使いすぎることで、自らの首を絞める結果になったのではないでしょうか。その記事によって対価を得ようとする以上、覚悟をもって臨むべきだと思います。

たしかに「書きたい」「知りたい」という欲求はあるでしょう。しかし、それを「書かれたら困る」という場合、それを停止させる手段を書かれる側が持つのも自由主義社会の一つの権利なのではないでしょうか。犯罪を犯したわけでもなく、私的な事情を、公人の子であるというだけで公開されてもいいという論理には納得できません。「書かれる側」にたっての自戒が、書く側には必要なのではないでしょうか。(月の猫)

書かれない権利があってもいい

書かれない権利があってもいい。マスコミ、とくに週刊誌は、離婚、熱愛、など有名人の私生活を書いてますが、あまりにも度が過ぎると思います。たしかに、記者の方々は、自分の意見を何でも発表する場を持って、幸せでしょう。しかし、だからこそ、書いていいことと、書いてはいけないことの区別をつけるべきです。

今回の騒動とは違いますが、マスコミが犯罪被害者の生前の様子などを詳しく書いているのを見て、悲しくなることがあります。どうしてわたしは、新聞を読みテレビを見ているだけなのに、この被害者の私生活、学生時代のことなど、周囲の人しか知らないはずのことを、こんなにもよく知っているのだろうか、と。(みちこ)

弱い立場の者には振りかざせない権利

今回の田中氏の話題は別にして、国民の知る権利を阻害すると、報道する側はその大義名分を盾に大声をいつも上げる。しかし、個人のプライバシーの侵害はひどすぎるところがある。たとえばあのA少年の父親の手記から家族を支える重い、しかし毅然とした姿に家族が蘇生していこうとしている、胸を打たれ陰ながらそっと見守ってあげたいと思うも、マスコミは競争でその行方の追跡取材。こうした弱い立場の者には「書かれない権利」を振りかざせないのだということも今一度考えてほしいものだ。「知る権利」を盾に突きつけての報道合戦は、権力の名に寄りかかった横暴さと裏腹であることを忘れてはならないでしょう。(トントン)

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