新しい豊かさとは何か
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2001年11月17日
道路4公団の行方が注目されています。建設中の高速道路凍結、あるいは民営化。これ次第で小泉改革の真価が問われます。小泉さんもそれを承知しているから、必ずやる、と明言しています。
国民のほうは、多数の人々が民営化・凍結に賛成してます。これ以上、財政資金をつぎ込むことはできないとわかっているからです。でも、自民党の道路族や地方自治体は、凍結は絶対反対という論陣を張っています。建設中のものを凍結すれば、今までかけてきたカネが無駄になるからです。
どちらが正しいかは、なかなか判断のむずかしいところです。たしかに地元では道路が欲しいと思っている人が多いでしょう。産業を発展させるために道路が必要なことも明らかです。では地元の資金で道路がつくれるかといえば、それはとても無理な話です。なんといっても地方も含め、累積債務は国内総生産より大きいのです。
われわれはついこの間まで、高速道路や新幹線、あるいはその他の人工的な構造物がいわゆる文明の証だと考えてきました。先進工業国とはそのようなものであり、それが進歩であると思ってきたのです。公害が問題になったのはずいぶんと古いことです(戦前にも足尾銅山の公害が問題になりました)。しかし環境ということが人々の意識にのぼってきたのは、まだたかだか十数年の話でしょう。
いわゆる温暖化ガスをはじめ、自然をわれわれが破壊したり、改造することへの反発が強まったのはそれこそつい最近の話です。そういいながら、われわれは自動車に乗り、新幹線や飛行機に乗って旅をします。ホテルに泊まれば、熱いお湯がたっぷり出てくることを期待し、どこにいても地元の食べ物だけでなく、自分が慣れ親しんだ食べ物を食べます(そうしたサービスを行うためには、燃料を燃やしたり、輸送することが必要なのです)。
都会の人間は、自然を眺めるために便利で速い方法で行きます。忙しくて時間がないからに他なりません。そしてトンネルが通った山腹を見て、「自然破壊」だと言うのです。スーパー林道を通って、これまで歩いてしか行けなかったところに車で行きます。でも生態系が破壊されているという記事を見て、スーパー林道反対というのです。
自然という意味では、人間が文明を築いてきたときから(とりわけ石油をエネルギー源として使うようになってから)、人間は自然を破壊してきました。18世紀から20世紀は、その破壊がすごい勢いで進んできた時代でした。われわれはそれが豊かさであると思ってきたからです。
今の道路公団論争は、今までの豊かさと、新しい豊かさのぶつかり合いのように見えます。問題は、では新しい豊かさとは何なのかがあまりはっきり見えていないこと(たとえば、豊かな自然とは不便さと同じことが多いのです)、そして都会の住人と田舎の住人では現在の豊かさの度合いが違うことなのです。熱帯雨林の保護を求められた発展途上国の首相がこう言いました。「先進国はこれまでさんざん木を切ってきた。そして豊かになった。そして今、われわれに木を切るなという。われわれが豊かになろうとするのを邪魔するのか」
とても一理ある発言だと思いませんか。これと同じことをもし地方の県知事が言ったら、都会の住人はどのように反論、あるいは説得するのでしょうか。そう思いながら、タクシーを呼び止める自分に、大きな矛盾を感じます。さてみなさんはどのように暮らしていらっしゃるのでしょうか。