官僚の筋書きを拒むなら……
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年2月9日
先週、田中真紀子外相の更迭について書いたら、たくさんのご意見をいただきました。私自身は、外相更迭に異議はないという立場でしたが、ほとんどのご意見は「異議あり!」というものでした。外相としての実績はともかく、少なくとも田中大臣が「伏魔殿」とまで言い切って外務省を改革しようとしたではないか。これが多くの方のご意見だったように思います。
政治には「わかりやすさ」が必要です。それがなければ一般有権者にアピールできないからです。田中大臣が代弁していたのは、永田町的な「わかりにくさ」の対極にある「わかりやすさ」ではなかったのだろうかと思います。だから、田中外相が更迭されたら、「政治が元の黙阿弥になってしまう」という気持ちが生まれるし、小泉首相では改革できない証拠だということになります。
そのわかりやすさの問題を、これまでの男性社会と女性が参加する社会(男同士の暗黙の了解が通用しない社会と言い換えてもいいかもしれません)に重ねあわせることもできるでしょう。ただ私は、田中外相の更迭が、男社会による女の締め出しであるとは思いません。一部の国会議員に、「だから女は」というようなことを言った人がいても、それが大勢であるとは思わないからです。
川口順子新外務大臣が、外務省改革をどこまでやれるのか。それは時間がたたないとわかりません。田中さんとはキャラクターも違うし、根っから政治家の家庭で育った田中さんと、通産省の官僚だった川口さんとは物の考え方も違うでしょう。当然のことながら、外務省の官僚に対する姿勢も違うでしょう。しかしやり方はどうあれ、要するに結果を出せるかどうかが問題です。そのためには時間が必要です。
外務省改革は重要なテーマですが、外務大臣の一番の仕事は外交です。先週の繰り返しになりますが、私は田中前外相の外交的能力に関しては大きな疑問があります。もちろんこれまでの外務大臣に能力があったのかと問われれば、それにも大きな疑問符がつきます。田中さんが飛び抜けて無能だったということではないでしょう。官僚の筋書きどおりに動いていたなら、田中さんも別に物議をかもすことはなかったのかもしれません。
実はそこに大きな問題が潜んでいるようにも思います。官僚の筋書きを拒むなら、よほどの外交ブレーンが必要でしょうし、何よりも自分自身に外交に関する理念が必要でしょう。田中さんは、その準備なしに官僚のシナリオを拒んでしまったわけで、とかくギクシャクしてしまったのは当然かもしれません。対中国外交などに、この問題が集約的に表れているような気がします。
とはいえ、ほとんどの方が懸念しているように、これで日本の政治がまた、国民の目にわかりにくくなってしまうことだけは願い下げです。小泉首相が言ったように、外務省や外交という問題に国民の目を向けさせたのは田中さんの功績なのですから、われわれ有権者がその関心を維持し続けることこそ、田中さんの苦労に報いる道ではないのでしょうか。少なくとも私はそう思っています。