統一地方選があぶりだした地方自治の問題
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年4月19日
統一地方選の前半戦が終わりました。東京では石原都知事が圧勝、神奈川では無党派を押し通した松沢氏が当選するといった話題がありました。しかし、全体としてはちょっと盛り上がりに欠けたという印象があります。自民党も野党の民主党も、政党色を弱める形で選挙に臨んだために、この選挙で何が変わるのかよくわからなかったからかもしれません。もともと地方は財源のかなりの部分を国に依存しているため、知事が何かを実現しようとしても、それが国の方針にそぐわなければ、資金面で締め付けられます。ということは、石原さんのように「国を小突き回す」と言い切れる知事がこれからどんどん出てくるというわけにいかないのです。
長野県議選 ─県知事選の熱狂はどこへ?
今回の統一地方選の中でわたしが注目していたのは、長野県の県議選でした。いわゆる市民派の田中知事が昨年県議会から不信任を突きつけられて失職したのは記憶に新しいところ。再出馬して「民意を問うた」田中氏が再選されて、県議会との関係がどうなるのか気になっていたからです。結局、共産党も含めて「田中与党」は改選前に比べて2人増え10人になっただけでした。これはいったい何を意味しているのでしょうか。長野県の有権者は、昨年の出直し県知事選で圧倒的に田中氏を支持したはずなのに、今回の県議選ではあの熱狂はすっかり冷めてしまったのでしょうか?
実はここに2つの問題があると思います。一つは知事といえども実際に県政を変えるとなると、国のサポートやら何やらが必要であって、従来からの構造をそう簡単に打破できるものではないことがはっきりしてきたこと。もう一つは、県議になるとどこの政党に属しているかということより、地元の意見をよく聞いてくれるとか、地元の有力者であるとか、昔お世話になったとかの要素が投票行動を左右するということ。長野県の場合は、田中知事を支持するかどうかといことが必ずしも「踏絵」にならないということです。
地方への財政委譲のジレンマ
日本の場合、もともと「県」という単位は、地方自治のための政治単位ではありません。明治政府が中央集権体制を維持するために構築した制度なのです。その色彩は今でも色濃く残っています。つまり地方交付税交付金という形で地方財政を国が「縛って」います。国の政策に反したことを地方が行うことは不可能といわないまでも、相当の勇気がいることでしょう。もちろん知事は、有権者の直接投票で選ばれるわけですから、それなりの権限をもってはいますが、大ざっぱに言ってしまえば、できることは限られているともいえます。
だからこそ、地方への財源移譲ということが地方自治を推進する場合に重要になるのですが、今の時点でそれを実行すると、これもまた大変なことになるでしょう。たとえば消費税を地方の財源にしたらどうなるでしょうか。財政が苦しい県(たとえば神奈川県)は消費税の税率を引き上げるかもしれません。県境をまたいだとたんに、税率が高くなるとしたら、消費者は隣の県に買い物に行くようになるかもしれません。消費税ではなく、住民税の税率を今よりも大幅に引き上げることができるようになったらどうでしょう? 引っ越せる人は引っ越してしまうかもしれません。企業も同じことです。実際にアメリカなどでは法人税率の安い州に本社を置く会社が多いのです。
地方財政の「構造改革」
公共事業をするかしないかということも税金の使い道という点では重要なことに違いないのですが、県という単位で実際に他県とは違うビジョンを描き出すということのほうが本当はもっと重要なことなのでしょう。産業をどうするのか、雇用をどう確保するのか、それが将来は豊かな県と貧しい県の格差につながります。長野県も公共事業に頼ってきた県でした。ですからダム事業を止めるのなら、それに代わる何かがなければ、工事を失う分だけマイナスになります。しかし公共事業に代わる何を創り出すことは、行政ではできないし、ベンチャー企業が現れたとしても、産業として成長するには時間がかかります。石原都知事がしきりにカジノ構想を語るのも、東京の財政のことを考えているからです。少なくとも産業の育成より手っ取り早い増収策であることは間違いありません。
おそらくどの都道府県でもこうした問題は多かれ少なかれ抱えています。その構造を本質的に変えることはとても難しいのですが、そこを変えない限り、いくら改革志向の強い知事を選んでも、実態はそう簡単に変わらないということになってしまうかもしれません。石原都知事が2期目で何をやるのか、やれるのか4年後にそれを都民がどう評価するのか、次回の統一地方選ではそこに注目したいと思います。
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