危機意識がないのは誰?
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年5月24日
SARSは中国ではずいぶん下火になってきたようです。上海の中国人の友人は「街をゆく人々の数はやはり少ないものの、3分の1ぐらいの人しかマスクをしなくなった」と先日書いてきました。その一方、台湾は大変なようです。まだまだ患者が増えていますし、ある台湾人は「これからがピーク。家族のことが心配」と言ってました。
その台湾から日本に観光に来た医師がSARSに感染していたことが判明し、大騒ぎになりました。台湾に帰ったあとで感染が判明したために、日本での対策は後追いにならざるを得なかったのですが、事実関係が明らかになるにつれ、ちょっと情けない気持ちになりました。
前例主義で待っているうちに
この医師に関する情報は、台湾から日本のお医者さんが受け取って、空港の検疫担当官に伝えられたのですが、それを受けた担当者は「確実性が乏しい」と判断して、上司に報告しなかったというのです。これだけ世界がSARSについて騒ぎ、中国や台湾という日本の隣の国で患者が何千人も出ているのに、当の担当官がそのような判断しかできなかったのは、どうしてなのでしょうか。
その担当官だけの問題ではないのかもしれません。たとえば狂牛病。農林水産省のお役人の問題については、このコラムでも何度か書きましたが、基本的には「日本に狂牛病が入るはずはない」というような傲慢ともいえる思い込みが、結局は狂牛病を日本に持ち込ませる原因になった。その上、使わなくてもいい税金を何百億円も使う羽目になったのでした。厚生労働省も「前科」があります。薬害エイズに関する危険情報が出ていたにもかかわらず、それを無視して非加熱製剤を使い続け、結果的にエイズ患者をつくり出してしまったのです。
先週は、りそなグループの「破綻」もありました。こうした金融危機をもたらした元凶は、やっぱり大蔵省(今の金融監督庁)ということになるでしょうか。銀行の体力があるうちに不良債権処理を促し、健全性を保たせるのが監督官庁の役目なのに、景気が回復するのをひたすら待って、揚げ句の果てにデフレに陥ってしまったのです。先を読むのが難しいことはわかっているのに、前例主義で待っているうち、ニッチもサッチも行かなくなってしまったということでしょう。
泥縄式から逃れられないお役人
日本の戦後経済を引っ張ってきた過程では、お役所は大きな役割を果たしてきました。資源の傾斜配分、つまり限られたお金をどの産業に投じるかを決めてきたのはお役所だったからです。それが奇跡の経済復興を生んだことは明らかな事実です。もちろん環境に恵まれたとか、他の要因もあります。その当時は、国家としての目標が明らかであったし、またモデルもありました。欧米に追いつき追い越せというのがスローガンだったからです。
しかし、ある時点から欧米はモデルではなくなりました。経済指標で見る限り、日本が欧米を追い越してしまったからです。一人当たり国民総生産でアメリカを追い越したこともあります。その途端に日本の経済政策はおかしくなったしまったのです。もちろんこれは、あまりにも単純化した言い方であることは承知していますが、突き詰めて言うとわたしにはそのように見えます。
誤解を恐れずに言ってしまうと、要するにお役人は「前例」が通用しなくなったときに、「有効に働かなくなる」と言ってもいいのかもしれません。そう考えてくると、農水省や厚生労働省の「失態」も理解できます。「危機」というのは前例がないから起きるものでしょう。その危機にどう対処するか、いつも新しい対策を考え出さなければなりません。ところが、お役人にとってそれが一番苦手なことなのです。
だから危機が起きると、いつも対策が後手に回ります。後手に回ってしまった分、どこかで国民や民間企業が損害を被ります。でもお役所がそうした損害を賠償することはありません。われわれ日本国民は、日本というシステムが世界でも優れたものだと思ってきました。それが世界第2位の経済大国をつくりだしたと教えられてきたからです。でもその優秀なシステムが今でも通用すると、一概に言い切ることはできません。
もっとも「お上」を批判したり、悪口言っているだけでは何も変わりません。私たち国民自身が、まず「お上」という言葉の呪縛から逃れること、それがまず第一なのかもしれません。お役所はあくまでも国家国民に仕える公僕、つまり国民の負託を受けて権力を行使する人々ではないのです。その国民の負託とは、国会議員を通じて官僚に伝えられるものです。その原則をもう一度考えてみることが必要なのではないでしょうか。
官僚を鏡に映してみると……
さて、こう書いてくると、みなさんは批判の矛先を、官僚あるいは政治家に向けるかもしれません。しかしそれでいいのでしょうか? わたしたちはこれまで、政治家、官僚といった人たちを専門家と呼び、この人たちにすべてを預けることで、責任を回避してきのではないでしょうか? 以前にもこのコラムで書いたように政治は国民を映す鏡でもあります。行政とてしかりです。危機に対応できない官僚の姿、それはわたしたち自身の姿なのではないでしょうか?
関連リンク
「政治は国民を映す鏡」(「私の視点」2003年2月8日)
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お役所に自己改革能力はない(「私の視点」2002年8月24日)
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「官僚の罪と罰」(「私の視点」2002年8月10日)
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