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志村季世恵さん
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「駄目お母さん」であり続けること
- 佐々木
子どもを育てていくとき、無条件で抱きしめてあげる一方で、イー・ウーマンのキーワードでもある「自分で考え、自分で選び、自分で行動する」ということができる子どもに育てていけたら、とも思うのですが。
愛情いっぱいで育てると、自分で何でもするというのとは逆転して、「甘えてみたい」っていう感情が生まれて、「何でもいい、わたしわかんないから決めて」となる。愛情を与えながら、自立をさせたり、ものを考えさせたりできるような秘訣というのはあるのでしょうか。
- 志村
無条件で愛された子は強いですよ。そこから考えることができる子になるもの。条件つきで愛された子はいつもビクビクします。その条件をクリアしないと愛されないと思ってしまうから。
わたしは子どもに条件をつけていないつもりでいます。でもね立派な母ではない「駄目お母さん」なんです。2、3歳のころには、子どもが「このお母さんは駄目だ」って思ってくれてるんですよね。とにかく、子どもに甘えるんです。まだ授乳期の子どもと一緒に遊んでいるときに、「ママにおっぱいちょうだい」って言ったりね。すると、子どもは「はい」って言いながら、出してくれるの。子どもって、親をちゃんと甘えさせてくれるんですよね。
お母さんの多くは、お母さんの役割を演じすぎているんじゃないかな、って思うの。わたしの場合、してあげるだけでなく、子どもにひざまくらしてもらったり、腕まくらしてもらったり、うんと甘えているんです。
すると子どもが、なんだか違って見えてくる。もちろん親としての部分はありますが、子どもが「駄目だ」って思ってくれていると、けっこう自立していくんですよ。わたしのキャラクターだから可能、ということもあるかもしれないので、みなさんにはおすすめはしないんですが(笑)。
- 佐々木
でも、うちもそうですよ。わたしが「今日具合が悪いの」、って言うとお茶を入れてくれたり、マッサージをしてくれたり、何から何までしてくれる(笑)。子どもたちはそれでうれしそうですし、ね。
- 志村
ひどい話なんですが、子どもが自分で翌日の学校に行く準備をきちんとして、ランドセルに必要なものを入れて眠る。わたしは原稿執筆中で「図を書かなくちゃいけない」と思って、ランドセルからスッと定規を抜いて、そのまま返すのを忘れていたんです。
子どもが翌日学校に行くと、入れたはずの定規がない。先生に「ぼくはたしかに入れたつもりなんですけど」と言うと、「言い訳をしてはいけない、志村くん」と言われる。その時、子どもは「あー、またお母さんだ」って思っているの。そんなことがいっぱいあって、「この人に頼っても駄目だ」「この人いい加減だぞ」と思うようになる。
- 佐々木
それはかわいそうに(笑)。
- 志村
学校から帰ってくると「お母さん、定規使ったら元に戻しといてね」って注意されて、「あー、ごめんねー!」なんて謝ったりして。
うちの子どもたちは、いっぱいひどい目に遭って、洗礼を受けてきてるんです。そうして「この人、駄目だな」と思うことによって、わたしのことを当てにしなくなり、よく自分で考えるようになりました(笑)。でもね、そんなわたしを「困った人だけど、いい人だ」とかね。すべてを見てわたしの全部を受け入れている。それは家族全員に広がるの。
- 佐々木
お子さんは、今、大学生、高校生、小学校6年生と1年生ですよね。もう、兄弟でも教え合うこともできるでしょうしね。
- 志村
そう。子どものことをすごく愛しているんだけれど、立派なお母さんである必要はまったくないと思うの。母親が立派すぎると、子ども自身が自分で考えなくなって、依存してきますよね。
「わたしは立派じゃないから、わからないんだもん。自分で考えたほうがいいよ、きっと」とわたしは子どもに言う。だからうちの子どもは、自分で塾も選んで決めて、中学受験して……。最後に、面接に一緒に行ってほしいと頼まれたので、「ジーンズじゃ駄目だよね、スーツだよね」なんて言いながらついて行く、という感じでした。
- 佐々木
「立派なお母さん」というのは、どういうお母さんのことですか?
- 志村
パーフェクトを目指すお母さんのことですね。
- 佐々木
よかった。わたしは目指してないから大丈夫だ(笑)。
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