ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第33回 南坊 博司さん

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南坊 博司さん
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炭鉱で真っ黒になって働きました
- 佐々木
ところで、南坊さんの今まで、を少しお伺いしたいのですが。大阪生まれでいらっしゃって、大阪で小・中・高と進まれて、大学は東京の早稲田。理工学部に進まれたんですね。
- 南坊
特別数学が得意だったわけではないのですが、資源工学科というところにいたんですね。
- 佐々木
そして、石炭の世界に、ということですが。なぜ石炭だったんですか? お父さまの影響とか?
- 南坊
いえ、父は大阪市の公務員ですから、まったく違う。むしろ、それを見ながら一つのところでじっとする仕事はしたくないと思っていたんですね。できれば海外で仕事をしたい、原野を駆け回りたい、くらいの気持ちでいました。それで、石油にしようか、石炭にしようかと。
- 佐々木
これからは石油、石炭だ。資源だというときでしたっけ?
- 南坊
住友石炭鉱業は住友グループの、非常に伝統のある会社ですよね。ただなんとなく、男の仕事だ、地球相手の仕事だ、という気持ちがあったんですよね。あこがれが先行していて、特に、何をするかというイメージはなかったんです。でも日本は資源がないので、入社すると、結局みんなあちこち海外に行っていましたから、自分が思い描いていた地球相手に仕事をするというのはある程度は実現したかな。
- 佐々木
そうですね。ところで石炭鉱業っていうからには、入社するとやはり鉱山での研修があるとか?
- 南坊
そうです。技術屋は全員そうですね。3年ぐらい、研修というか、地下の坑内に入って石炭を掘りました。
- 佐々木
実際に、炭鉱で石炭を掘ることをされたんですか?
- 南坊
ええ。本当に真っ黒になって。でも、3年は短いほうだと思います。わたしをそのまま置いておいたら辞めてしまうんではないか、だから「こいつを移さないと」というので早々と本店に転勤になりました。
- 佐々木
いやあ、でも3年間地下に毎日もぐって……。厳しい現場ですね。それとも楽しい? 場所はどちらで?
- 南坊
北海道です。楽しいことはないですよ。でも、人間関係は温かくてみなさんによくしてもらったので、今もなつかしいし感謝しています。
- 佐々木
地球相手、だから楽しかったのかなと思って(笑)。
- 南坊
厳しいですよね。三交代で24時間フルに掘っているんです。ですから、僕も朝出て行くときと昼出て行くときと、夜出て行くときと、一週間ごとに代わって行くわけですね。
- 佐々木
わかります。わたしは、『ニュースステーション』の取材で、南アフリカで金鉱山に入ったんです。
わたしは掘りませんでしたが(笑)、あそこも三交代でした。地下に2キロくらいもぐりました。アパルトヘイト下でしたから、言葉も部族も違う黒人の人たちが集められて8時間交代で働いていました。わたしが入ったところは、最終地点で高さが120センチくらいかな。すごく細いところ。
- 南坊
それはすごいところまで行きましたね。体を折り曲げて……。
- 佐々木
そう、気温50度、湿度100%みたいな、テレビカメラが壊れちゃうようなところに入りました。黒人の180センチ以上もあるような人たちが、みんな足を伸ばして座って、ドリルで金を掘っている、そんなところでした。
- 南坊
それはすごい経験ですね。あんまりない経験ですよね。わたしのいたチームでは、大体石炭を、坑内掘りっていうんですけども。ケージっていうのに乗って500〜700メートル下へ下りるんです。斜めに下りたら、さっきおっしゃったように2キロぐらい歩いたり。それで火薬をセットして爆破させて、あとはドリルとか、ハンマーみたいなもので掘り進んで行くという。
- 佐々木
かなりの肉体労働ですよね。それに、危険も伴っています。
- 南坊
肉体労働ですね。でも今はもうないですね、そういうのは。日本ではなくなっています。で、日本の石炭業界というのは、そのころ日本には、けっこう炭鉱というのがたくさんあったんですけどね、北海道に一つある以外は、今はもうなくなって。でも、石炭っていうと、ちょっと古いイメージがありますが、石炭の生産量、使用量そのものは右肩上がりで伸びてるんですよ、世界的にも。
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