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川合アユムさん
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21歳にして年商1億4,000万
- 佐々木
創業から、「EDコントライブ」ですよね? ちなみにEDコントライブという名前の由来は?
- 川合
当時は“Electronic Development”ですね。電気的な開発をしようとしてたんですよ。
- 佐々木
本当に先端ですよね。今振り返れば、そのころそういう発想をもって、21歳で会社作るのってものすごく珍しかったでしょう?
- 川合
珍しかったですね
- 佐々木
多分メディアにもいっぱい出てたんでしょうね。
- 川合
うん、あれは何で新聞に出たんだったのかな、ベンチャーという言葉もなかったですね。
- 佐々木
85年か86年ですよね。わたしがユニカル起業したのが85年で、ユニカルを株式会社にしたのが87年。「ベンチャー」という言葉もなかったし、「起業家」っていう言葉もなくて。記者には「20代独身女社長」って書かれたのを覚えてますけど、そういう時ですよね。時期としてはね。
- 川合
うん。そのころはね、話題にしてもらうために、新聞に売り込んで、日経産業かなんかにちょろっと出たと思うんですけど、あんまりメディアに取り上げられることはなかったんですね。24歳ぐらいになった時に、いろいろ資金的なフローがどんどん入って来て、難しい審査のある公的な借り入れをいっぱい成功させたんですね。
それから世の中に注目されるようになって、表彰をいっぱい受けて、ベンチャー企業と呼ばれて。そのころには、売り上げに占めるハードウェアの開発といった研究開発費が30%とかでね、めちゃくちゃなバランスで経営してたんですよ。
- 佐々木
売り上げがもう一気に……。
- 川合
上がっていったんですね。
- 佐々木
25〜26歳の時にどのくらいですか?
- 川合
創業の時が半期で7,000万、何でか知らんけど半期決算して。通期でだから1億4,000万ぐらいの規模でスタートしてるんですね。それが3〜4年で5〜6億になってたんですね。
成長率でいうと急激に上がっていった。
- 佐々木
じゃ、今までのすごくいろんな道のりの中で、「これだ!」という感じたことが、またよみがえったんでしょうね。思いに陽が当たって来て、すごくみんなに喜ばれているという感覚というか、そういうのを実感したわけですね?
- 川合
それがね、創業前の3年間は仕事が本当に楽しかったです。ところが創業してからの3年間、無我夢中だったのは事実ですけど、本当に楽しかったのかどうなのかって言うとね、すごく疑問。24歳ぐらいのときに、そこで悩み始めた。
- 佐々木
どうして?
- 川合
わかんなかったです、当時はね。だけど、楽しくなくなってたんですね。
それからもう「会社やめたい病」にかかって、24〜25の時に役員立候補制というのにして、自分は「辞めたいんや」と言った。でも、みんなに「今やめてもらったら、どうもこうもうまくいかん」と言って止められて。
たしかにあのころは営業も開発も資金調達も全部自分でやって、超カリスマ経営者だったから。だけどもう、いやでいやでたまらなくなってしまった。
一緒に始めた人間は、全員年上だったのに、忠実な部下にはなってくれてましたけど、一緒になって考えて、一緒になって「どうしようか」と言える仲間でなくなっていた。その当時はね。
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