ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第7回 西岡 郁夫さん

7 |
モバイル・インターネットキャピタル株式会社 代表取締役社長
西岡 郁夫さん
|
|
|
仕事と組織は自分の手で
- 西岡
大学で修士をとった後、シャープに入社し、中央研究所の集積回路研究部に配属されたんですが、「あれしろ」「これしろ」と言われた記憶がほとんどありません。
というのは、僕は修士論文にコンピューターシミュレーションを使ったんですが、当時のシャープにはそんな知識がなく、みんな、朝から夜遅くまで実際の回路を使って、シンクロスコープで一生懸命実験をやっていたんですよ。
僕は課長に「アメリカでは実験の代わりにComputer Aided Design(CAD)というコンピューターシミュレーション技術が研究されています。シャープはそれをやり始めないと遅れます。僕にやらせてください」と提案しました。研究部に配属されて数カ月後でした。
その課長は「へぇー、そういうことがあるんか。わかった。君一人で研究を始めてくれるか」と言ってくれたんです。
- 佐々木
新入社員が、提案をして、受け入れてくれる、あるいはそういう道筋を作ってくれる大企業というのは、珍しいことなのではないでしょうか。
- 西岡
ええ、なかなかいい会社だなと思いましたね。
- 佐々木
もちろん、西岡さんご自身の実力があったこそだとわかりますが、それは企業としても、大変自由度が高いということですよね。でも、後にその会社をお辞めになっていますよね。
- 西岡
シャープには23年勤めました。その間CADグループは2人、4人、8人と大きくなり、シャープにCADセンターという組織ができて初代の所長になり、その後、80人強の研究員を擁するコンピューターシステム研究所に発展して初代の研究所長になりました。CADの研究で工学博士号も取得しました。
こうして16年間研究所にいましたが仕事と組織はすべて自分で作っていきました。幹部の人たちが若い僕を信じてよくやらせてくれたと思います。幸せな時代でした。
- 佐々木
技術力と起業家精神のある、パワフルな西岡さんを、会社の上層部の方がきちんと見ていて評価されていたんでしょうね。
- 西岡
幸せな研究所長だったときに、いきなり辻社長の「コンピューター事業部長を命ず」という辞令をもらいました。当時のコンピューター事業部は 550人くらいの事業部で業績が悪く、誰が事業部長をやっても1年ほどしか続かない部署でした。3人の副事業部長と9人の部長はほとんど全員僕より年上でした。
同じような学歴と考え方を持った研究員を束ねる新しいホモジニアスな組織の長から、種々の学歴や考え方を持つ部下が550人もいる古くてヘテロジニアスな組織の長に突然変わって、随分苦労しましたけれども楽しい経験でした。結局、5年3カ月間、事業部長を務めました。今でもきっと最長記録だと思います。
2/13
|
 |
|
|