ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第8回 杉田敏さん

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株式会社プラップジャパン 取締役副社長 普楽普公共関係顧問有限公司 CEO
杉田敏さん
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地道な努力で奨学金を手に
- 佐々木
お話が途中になりましたが、アメリカ留学のきっかけは、「なんか違う、やっぱり日本で使っている英語にはもっと本当は先がある」と感じたこと。そしてオハイオ州を留学先に選ばれた。
- 杉田
うん。でもお金もなかったし、どうしたら奨学金もらって行けるかなと考えて、60くらいの大学に手紙を書いて、「留学生を受け入れているか」「奨学金をもらえるか」とか聞いてみた。今みたいにワープロもない時代だから、マニュアルのタイプライターでそれぞれの大学の住所に、全部違う文面で打ってね。
- 佐々木
1校1校違う文面で60校も。
- 杉田
それだけ出しても、最初の年から奨学金をくれるところってないんですね。アイオワ州の小さな大学からだけ「可能性がある」という返事が来たけれど……。そこで次に、各州の新聞協会に手紙を出して、相談してみたんです。
- 佐々木
大学院に行きたいのに、新聞協会に手紙を出したというのは、いったいどんな思いつきなんでしょうか?
- 杉田
大学院に行ってジャーナリズムを勉強したいんですけど、どうしたらいいんでしょう、どこか奨学金をくれる大学ありますか、みたいな虫のいい手紙を書きました。新聞協会は、全米各州と地域の組織があるから多分やはり60通ぐらいに出したんですね。
そしたら、運よくその中のオハイオ新聞協会から色よい返事をもらいました。ちょうど日本行きのツアーを計画していて、オハイオ州の新聞社の編集者を連れて近々、日本に行くから会って話そうという親切な内容でした。後日、オハイオ新聞協会の事務局長のビル・オーテルさんという人に東京のヒルトンホテルで会って、30分くらい雑談をしました。
彼がすごく親切な人で、オハイオ州立大学に話を通してくれたんです。とにかく信じられなかったのには、その前にオハイオ州立大学からは、短いぶっきらぼうな手紙が来ていて、断わられちゃっていたわけです。
オーテルさんから「この人に手紙を出しなさい」と言われたので名前を見たら、その同じ人でした。それで再度その人に手紙を出したら、前とはうって変わってすごくていねいな手紙が来て、その手紙には「TOEFLの点数さえクリアしていれば、入学を許可し奨学金を出します」とあったんです。それで TOEFLを受けたんです。
- 佐々木
その時何点ぐらいだったんですか。興味深いですね。
- 杉田
はっきりと覚えてはいませんが、多分満点に近かったんじゃないかな。10年ほど前にTOEICを受けた時には一つだけ間違えましたから。
- 佐々木
それじゃあ多分690点くらいですね。
- 杉田
そういうわけで手紙では入学許可をもらっていたのですが、まだ半信半疑でした。すぐにTOEFLは受けたのですが点数を最終的にもらったのは次の年の5月になってからで、正式に入学許可と奨学金の通知を受けたのは7月ぐらいでした。長女が9月11日に生まれたのですが、その2日後に渡米して、最初はオーテルさんの家にしばらくいさせてもらって、下宿を探しました。奨学金は月300ドルで、家賃に約100ドル、食費に100ドル払って教科書などを買ってもお釣りがきました。ただ、車を買ったらすぐに赤字になりましたが。
もう一つ、予期せずいいことがあったのは、奨学金をもらうと自動的に学費免除になって、授業料を払う必要がないことがわかったのです。
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