ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第86回 高橋 伸子さん

86 |
高橋 伸子さん
|
|
|
職業適性検査の結果は……
- 佐々木
高橋さんご自身は、どういう環境でお育ちになったんですか? ご両親のお仕事とか。作家になりたいという風に育ったっておっしゃいましたけれども。
- 高橋
父は東証一部上場企業の経理・財務の担当でした。「為替で2億円損をした。不可抗力だったけど……」なんて、父が母に話していたのを今でも覚えています。
- 佐々木
そうですか。お母さんは?
- 高橋
ずっと専業主婦。婦人之友という雑誌の「友の会」の会員で、セーラー服からバースディケーキまで何でも手作り。あの煩雑な羽仁もと子さん考案の家計簿を54年もずっとつけ続けてますよ、今も。転勤族の典型的なサラリーマン家庭で育ちました。
- 佐々木
ご兄弟はいらっしゃるんですか?
- 高橋
兄がいます。彼もちょっと変わっていまして、子どもの頃から船乗りになりたいと……。今は東京海洋大学の船で、7つの海を航海しながら教鞭をとっています。年子ですが、私の方が姉によく間違えられてましたよ(笑)。
幼稚園は内弁慶な兄の付き添いで飛び級。なんと年長組に2年行きました。その頃から私の人生はどこか変だと思うんですけど(笑)。
今関わっている金融経済や家計は、子どもの頃、とても身近な世界だったけれども、身近すぎて好きにはなれず、「そんな細かい事、嫌よ」っていう感じでしょうか。
私はホワッと生きたかったので、音楽家になるか作家になるか、それしか考えていなかったですね。「オーケストラをバックにコンチェルトを弾くステージピアニスト。それがだめなら作家」っていう、この2つしかなかったのです(笑)。
普通の企業に勤める事は考えた事もなかったですね。ひたすら本を読み、音楽が好きな浮世離れした子(笑)。名前のとおり伸び伸びと育ったんです。
それなのに、高校の時に、進路診断の職業適性検査で「公認会計士」って出たんですよ。すごくショックでした(笑)。
父や母のDNAで、細かく数字をチェックできる素質を持っているのかもしれません。母は、数学の先生になりかったのが、東京大空襲で家を焼かれて大学進学を断念したとか。
- 佐々木
やっぱり、何となく数学・会計家族だったんですね。バックグラウンドが。
21/28
|
 |

|
|