11/14 
モノであり、他人である生身の自分と携帯電話
精神科医としても、個人的にも、人間観察をよくするという先生。携帯電話を手に話す人々にはある特徴があるという。携帯電話をうまく使いこなす人々は、同時に、「生身の人間」をモノととらえ、波風をたてないコミュニケーションができる人たちでもある。
携帯電話を使っている人を見ていると、話し方に二通りあるんですよ。
まず明らかに携帯用というか、姿形が見えないことを前提に、上手に話をすることができる人たち。ある意味では嘘をついているんだけど、ある意味ではヴァーチャル・リアリティを携帯で実現している人たちです。表参道にいても「あたし、今渋谷」と話している女性がいる(笑)。僕なんか「もしもしあなたここは表参道ですよ、近いとはいえ、違いますよ」と言いたくなってしまうのだけど、平然と嘘をついている。
また、どう「見ても男を待ってるんでしょ?」という風情なのに、電話では平気で「今バイト終わったのー」と話している。もちろんこれはネットでも同じことです。一見いかがわしいようで、でも実はいかがわしくないわけです。もちろん横で見ていると、現実の絵としてはすごい衝撃があるわけですが。
もう一つのタイプというのは、昔の電話と同じやりかたで電話をしている人々。口下手っていうのかな。何でも正直に話して、ギクシャクしてしまうんです。たとえば電話の相手がその人の声だけで、怒ってると思い込んでしまうことがある。「わたし怒ってないってば! 声だけで言わないでよ」って、横で見ていると本当に怒っていないのに、勘違いされてしまう。この2タイプです。
どっちが健全なのかと考えた時、普通に考えれば、後者のほうが健全なように思いがちなのだけれど、トラブルを起こすのは、その後者のほうが圧倒的に多いわけですよね。
11/14 