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今週のテーマ会議番号:1860
自分の家族の延命治療を求めますか?
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2日目/5日間
働く人の円卓会議
2位
【開催期間】
2006年04月03日より
2006年04月07日まで
円卓会議とは

高成田享
プロフィール
このテーマの議長
高成田享 朝日新聞石巻支局長
円卓会議議長一覧
重いテーマなのに、多くの方が参加してくれたのに感激しました。実は、設問をつくるときに、「延命治療に賛……
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1日目までに届いている投稿から...
月曜:1日目(テーマの背景) 火曜:2日目 水曜:3日目 木曜:4日目 金曜:5日目(リポート完成)
yes 私の父も (わくらく・兵庫・パートナー無・33歳)
父は2年半前に高所から落下し、頭を強打しました。なんとか一命はとどめましたが、意識は戻らない状態です。ただ微妙に表情の変化があったり、手を動かしたりするのでその反応を望みにして、家族の看病が続いています。いつ意識が戻るのか分からない状態ですが、やはり身内になると奇跡を信じずにはいられません。

yes 納得することが大切 (ゆうこりん・宮城パートナー無・)
ある程度の延命治療は、見守る家族の心の整理に必要な時間をもたらしてくれると思います。私も、たくさんの機器や管につながれている父を見るのが耐えられませんでした。それでも髭や爪は伸び、やはり父は生きているのです。それが感じられるだけでも幸せでした。そして、これは私たちが現実を受け止めるためには必要な時間だったのだと確信しています。ですから、残される家族が納得いくまで治療を続けることも大切だと思います。

yes 実際に (riviere・東京・パートナー有・32歳)
母が亡くなったとき、少しでも長く生きていてほしいと延命治療を希望したかったですが、母の希望により、延命治療を行わなかったため、今でも少し後悔しています。でも、逆に自分に対しては、延命治療は行ってほしくありません。

no 普段から話し合っておく必要あり (クララベル・東京・パートナー有・38歳)
5年前、肝硬変で入院中だった義父の容態が悪化したときに、人工呼吸器を付けるかどうか家族で話し合い、医師には延命措置をしない方向でお願いしました。そのとき、延命措置を受けるか、もっと言えば救急車を呼ぶかどうかまで、普段から家族で話し合っておく必要があると思いました。ただ、富山の病院の例は、人工呼吸器をつけたのに、医師の判断ではずしたという犯罪と紙一重の行為ですから、医師の行為の危うさが、延命措置をするかしないかの議論に埋もれていくことには疑問を感じます。

no 無理矢理生かすことに意味は無い (いまいくん・埼玉・43歳)
父親をガンで亡くしているのですが、末期にはいわゆる延命治療が施されました。やせ衰えた父の体はまさにスパゲッティー状態で、母も私も「早く楽にしてあげたい」と、心から思いました。末期ガンの患者を、無理矢理生かす意味や必要性はあるのでしょうか? と、私は思います。「一分一秒でも長く生きていて欲しい」という考えは否定しませんが、少なくとも私自身には延命治療はして欲しくないし、家族にもしたいと思いません。

no Noと言えなかったからこそ (ありる)
愛する祖母が、一度倒れた後、血のにじむようなリハビリの末に口にした「延命治療はするな」という言葉。それを彼女の命の瀬戸際で、私たち家族は裏切りました。駆けつけたときには、既に呼吸器が付けられており、「これを外すか」と選択を迫られたとき、「外してくれ」とは言えなかった。その後、毎日足をさすりながら謝り続けました。私は、あくまで本人の主張を通すよう努力します。Noを言えなかった苦い経験から、二度とあんな思いは、すまい・させまいと誓っています。

no 本人が望む生き方を選択したい (Lio・東京)
医療機関で働いています。今回のテーマに関しては日頃から考えることがあります。両親は、自分達が延命治療が必要な状態になっても望まないと言ってます。私も本人達の望むようにしたいと思います。延命治療で苦しそうにしている患者さんを何人も見たので、親には苦痛を味わせたくありません。しかし、万一そのような状況になったとき、延命治療は望まないと思えるかどうかわかりません。どんな生き方をしたいか、日頃からよく話し合ったほうがいいと再認識しました。

no 相談して尊厳死を選択しています (ChisatoI・東京・パートナー有・33歳)
祖父の死に立ち会ったときに、家族で相談しました。父も母も、自分の死が近づいたときは、延命のための延命治療は望まず、静かに安らかに逝かせてほしいとのこと。ただし、痛みがある場合はそれを抑えてほしいと。私は本人の意志を尊重するつもりです。祖父は最後は寝たきりでしたが、自宅で安らかに、命の灯火が自然に燃え尽きるように亡くなりました。私もその現場に立ち合ったので、余計に延命治療は望まないのだと思います。
2日目の円卓会議の議論は...
月曜:1日目(テーマの背景) 火曜:2日目 水曜:3日目 木曜:4日目 金曜:5日目(リポート完成)
「末期」とはなにか?
重いテーマなのに、多くの方が参加してくれたのに感激しました。実は、設問をつくるときに、「延命治療に賛成か反対か」という問いを考えたのですが、そうすると、自分にあてはめて、「ノー」の回答ばかりではないかと思い、あえて、「家族」としてみました。これで半々くらいになるかなと思っていたのですが、結果をみると、7割は「ノー」でした。なるほどと思いました。

「苦渋の選択」という言葉をよく聞きますが、体験を語られている方は、まさにこの「苦渋の選択」をされたことがよくわかります。算数のような明確な答えがあるわけではなく、より納得できる答えを、どうしたら得られるか、という問題ということなのでしょう。

いま延命治療の是非が社会的な問題になっているのは、明確な基準が医療の現場で確立していないために、しばしば警察が介入する「事件」になるからだと思います。その結果、医師らが殺人罪に問われることもありました。これまでの判例では、末期で死が避けられないこと、患者や家族の同意があること、などが延命治療を中止できる条件になっています。それが明確でない場合には、医師が有罪とされることで、「疑わしきは生命の利益に」という考え方ができているようです。

私が抱いている第1の疑問は、「奇跡」はほんとうに起こらないのだろうか、ということです。何年も意識のなかったひとの意識が戻ったというニュースを聞くと、人間は不思議なものだと思います。意識のない状態と末期とは定義が違うのだと思いますが、末期というのも人間の判断によるものだとすると、「奇跡」の入り込む余地がありそうな気もします。判例などで、「複数の医師の判断」が求められているというのも、こうした背景があるからでしょう。

「末期」をどう考えたらいいのか、みなさんは、どう考えますか。

高成田享
朝日新聞石巻支局長
高成田享


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