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今週のテーマ
会議番号:2286
「スピリチュアルな」と聞いて、良い印象を持ちますか?
投票結果
48
52
489票
527票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2007年10月15日より
2007年10月19日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
井上順孝 國學院大学教授
スピリチュアルという表現と、信心、信仰心との違いがあるのかお聞きしましたが、そう聞かれるとあまりはっ……
議長コメントを全文読む
3日目までに届いている投稿から...
基本的には同じ (jugon・神奈川)
「八百万の神々」と書かれた方がいらっしゃったように、私も自分の内にある信仰心とスピリチュアルとはイコールだと思います。信仰心というのは、目に見えない聖なる存在を信じることで、その存在が唯一絶対なら一神教になり、森羅万象に宿ると信じれば八百万の神々ですよね。信じる対象が何であれ、そこへ向かう心がスピリチュアルであり、そのような気持ちが全くない人は「あやしい」と感じるのだと思います。
人智を超えたもの (rabbitfoot・大阪・パートナー有・46歳)
日本では、メディアを中心に「キワモノ的」な扱いがほとんどの「スピリチュアル」ですが、私自身は、「人智を超えた世界、力」や「五感ではとらえられないもの」と考えています。その、大きな漠とした世界の中で、なんらかの思想や教義、法則を示したものが「宗教」ではないでしょうか。ちょうど、宗教団体の事件が報じられており、戦後に雨後の竹の子のように現れた新興宗教のイメージで、「宗教は恐い」という日本人は多いですが、他国では「信仰」が無いことの方が気味悪がられるとか。
どちらの表現も好きです (ピオーネ・静岡・パートナー有・36歳)
日本でいう信心や信仰心という言葉からは、神仏への信頼・良い意味での依存を感じるのに対し、スピリチュアルという言葉には自己の内面を見つめた延長でみえてくる普遍的な存在(創造主のような)に対する畏敬を感じます。どちらも良いイメージであり、相対するものではないと思えます。超人間的なものに対する文化的なアプローチの違いではないかと思います。私は、出産を経験してから、人力を超えた存在を信じるようになりました。どちらの考え方も素敵だと思います。
守られている存在と知ること (まるげりーな・千葉・パートナー有・32歳)
信仰心とは、宗教に傾倒することだけを指すのではないと信じています。「自分が何のために生まれてきたのか」を真に理解し、それを実現することにまい進していれば、どんなに苦しくても、必ず救いの手が差し伸べられます。そのとき、自分は守られている存在だと実感します。それが、信仰心の元々の姿であり、スピリチュアリティの真の姿であると理解しています。私にとって、信仰心もスピリチュアリティも、その源は同じものです。
そこに学びがあるのなら (いそまる・神奈川・パートナー無・29歳)
確かに「目に見えないこと」を利用して、人の心のすき間につけ入る商売や、人を無駄に怖がらせる占いは、不愉快に感じます。一方で、理不尽な事や、不運が重なった時に、自らを振り返ったり、そこから学びを得たりという、前向きに生きる術としてのスピリチュアルな発想には好感を持っています。私も不安な時や考えが混乱する時、江原さんの言葉からヒントをもらったりして、スッキリする事が多々あります。そういう「学び」のあるスピリチュアルは、とてもいい印象です。
口にすることに抵抗感 (ぐーすか・東京・36歳)
目に見えるものを包む目に見えないもの、信心、心のありよう、魂、なんにしても易々と口にすること自体に抵抗を覚えます。実虚を問わずスピリチュアルな物事を感じられる感性は素晴らしいと思いますが、それはその人の中にあればいいことであって、他人にどうこうするものではないと思います。自分の体験を他人も同じように感じるベキとかハズとか思わないし、まして他人の素晴らしい体験を自分もそう感じるハズとか感じられるなどと思わないです。
4日目の円卓会議の議論は...
メディアの扱い方への意見はありますか?
スピリチュアルという表現と、信心、信仰心との違いがあるのかお聞きしましたが、そう聞かれるとあまりはっきりした違いはない、という人が多かったようです。jugonさんは、
「自分の内にある信仰心とスピリチュアルとはイコールだと思います」
と、はっきり同じものだと表明されていますね。信仰心がまったくない人がスピリチュアルなものをあやしいと感じるのではないかというご意見のようです。
ピオーネさんも、信心や信仰心という言葉も、スピリチュアルという言葉もどちらも良いイメージであり、そう違うものではないという捉え方です。
一方、ぐーすかさんは、
スピリチュアルな物事を感じられる感性は素晴らしいとしつつ、それを他人へ押し付けようとするような態度には拒否感をもっておられる
ようです。実はこのあたりが、スピリチュアルなものへの印象を分ける一つの境界線のように思われます。
人間を超える何かを信じたり、それを大切にする心には、肯定的な印象をもつ人が多い
ようですが、それをことさら前面に出して、スピリチュアルなことはいいことだ、という形で押し付け的になったり、あるいはビジネスとして利用したりしようとする気配が見えると、あまりいいイメージでなくなるということでしょうか。
これまでも度々指摘されたスピリチュアルの商業化、あるいは一種のパフォーマンスとしての強調には、テレビなどが大きな役割を果たしています。
そこで、
テレビをはじめとするメディアのスピリチュアルな事柄への扱い方で、日ごろ疑問に思っていたり、改善したりした方がいいと思う点があったら、自由に述べていただけるとありがたいです。
井上順孝
國學院大学教授
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