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2002/11/18(月) - 2002/11/22(金)
5日め

テーマ働くのは楽しいことですか?

今日のポイント

本当に仕事が楽しい人と、楽しい「ふり」をしている人の違いとは

投票結果 現在の投票結果 y72 n28 これまでの投票結果の推移
凡例
キャスター
川合アユム

無理に働く必要がない社会になったら、人はみんな働かずに生きていくのかな? そんな社会になったら、人は堕落してしまうと考える人もいます。でも、そうかな? 20世紀、人はみんな一生懸命働きました。働いて働……

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これまでに届いているメンバーからの投稿

YES

ふりではないと思う(まゆのみかん・福島・既婚・29歳)

最近、再就職した一児の母です。働くしかない男の人に聞けば反対の結果になるのではないかと思います。けっして、楽しいふりをしてるわけでなく、女性は働く立場(外でお金をもらうという意味で)と働かない立場の両方を経験できるから、働いて外にも出ていけることを貴重だと実感しているのではないでしょうか。つらいときだってたくさんあるけど、それは働いてなくてもありますよね。たとえば、子育ても楽しいと聞かれれば、決して楽しくないときだってある。でも、子育てをする。これと同じだと思います。現実は、お金がなくては生きていけないので、働くことは当たり前。働かないなら夫(お金を稼いでくれる人)に感謝し、支えるのが当たり前、かな。

楽しいふりでも、いい(miyaco)

以前は「辞めたい」と思いながらも、経済的な不安からずるずると働いていました。そんなとき「すべての労働は売春」との言葉に出会ったのです。たいていの人は自分の労働や時間を売って、生きるためのお金を得なければなりません。ならば、せめて好きな仕事をして、「楽しい」と思い込んだほうがいい。そう思って、スキルを磨き、念願かなっていまの仕事に異動しました。いまは毎日「楽しい」と思って働いています。

楽しいふりも大事(sage・千葉・既婚・33歳)

ポジティブシンキングや前向き発言、あまり好きではないのだけれどあえて言います。楽しいふりも大事。つまらないと思って仕事をしていても、いつまでたってもつまらない。楽しいふりをしていれば、毎日の同じような仕事にも面白いことみつけられると思う。わたしはそうやって社会人10年目を迎えました。やっと自分のやるべきこと、やりたいこともおぼろげながら見えてきた気がします。それに、ずっと楽しい仕事なんてあるのでしょうか。「根本的に楽しくない仕事」って思う人に、「根本的に楽しい仕事」が見つかるのかな。

面白くしよう、楽しくしようとする努力(kuniwaka2001・神奈川・既婚・31歳)

本来、働くことはとても楽しいことだと思います。汗水流して労働し、お金をいただき、そのお金で家族みんなが食べていける。すばらしいことだと思います。でも、これが会社組織に所属していると、時には自分の望まぬことをやらねばならなかったりして、本当に嫌になるときがあります。会社で働こうが、事業をしていようが、きっと楽しいことばっかりではないと思います。ただ、「つらくて苦しいこと」ばっかりをクローズアップしてしまうと余計つらいから、わたしは少しでも楽しく仕事をするように心がけています。楽しくなくても楽しいふりをしたり、どうしてもつまらなくなったら、プライベートで楽しいことをやったりしてバランスを取ります。せっかく働くのなら、嫌々ではつらい。だから、面白くしよう、楽しくしようとする努力は必要だと思います。

働かないのは寂しい(ururu・東京・未婚・29歳)

自分の発信したことが世間に受けとめられて、収入を得るというのがもっともいいことだと思っています。だから働かなくてもいいとなると、それはすごく寂しい。すごく働いていた状態からポーンと外れ、仕事がないときが以前あったけれど、なんだか空虚でした。今の仕事はとても忙しくて、一時は気持ち的にもやばかったりしたけれど、自分のしたことが相手に伝わっているってわかった瞬間のやりがいは何物にも代えがたいです。

存在意義がないと……(siluku・未婚・27歳)

わたしは、自分自身の存在意義を得るために働いているのだと思います。仕事は移植コーディネーターですが、その収入だけではとても生活ができません。バイトをして何とか生活できるという程度。そのため、自分の時間はほとんどありません。以前は国家公務員だったので、生活は安定しており、収入もかなりよかったのですが、それを捨ててでも今の職業に魅力がありました。自分が動くことで相手が喜んでくれる、そこに自分が働く意義や自分自身の存在意義があるのだと思います。有閑マダムのような生活もうらやましいですが、それだと存在意義がわからず、駄目になってしまうと思います。

NO

日本は滅びる(happylife!)

働くことのない社会は、身近な例で言うと、受験競争のない学校みたいなものではないでしょうか?いま、ゆとり教育や悪平等の弊害が言われています。それと同じことが社会全般に起こるのだと思います。そうなると、10〜20年後には、中国かアメリカの属国になっているかもしれませんね。

キッパリと楽しくないです(さーぼー・東京・既婚・30歳)

仕事なんて、楽しいものではありません。それでも働かなければいけないのだから、自分の好きなことに近い仕事に就いている。とはいっても、現実はツラいことの連続。そんな1日を終えて、家で食べる納豆ご飯のおいしさやお風呂の気持ち良さ……。これらは、やっぱり働いているからこそ味わえるのかも。こうした好きなことや楽しいことが見つけられたという点では、仕事していて良かったのかなと思っています。

楽しみもあれど……(まめむぎ)

わたしは看護師をしています。ご存知のように、この仕事の担い手は女性がほとんどです。「人の役に立つ立派な仕事」と言われることもありますが、そもそも女ばかりがこの仕事をしているということは、構造的に問題があるのです。その構造的な問題を考えるとき、この仕事が本当に嫌になります。もちろん日々の業務のなかで、自分がリーダーシップを取れたり、患者さんが回復したりすると、働くということの根本的な喜びを感じることもあります。でも、「奉仕だ」「博愛だ」と優しさを搾取され、専門職として正当な評価を得られないとなれば、仕事が生きがいなんて考えられません。稼ぐ手段を持たない大人は不自由だと思うので、わたしは生涯働き続けると思います。でも、いろいろな状況の人が働くという前提にはなっていない社会、つまり、健康で若く障害をもたない男しか働けない社会で、仕事に経済的意味以外の価値を見つけだすことって不可能じゃないかとすら思います。

今日も自分を殺して……(hamaiso)

就職活動時は、一生をかけてやれるやりがいのある仕事というのを第一条件にしておりましたが、「就職超氷河期」と言われていた時代で、男子学生には届いている資料請求ハガキが、女子大生には届きませんでした。企業訪問した数は、約100社。いいところまでいっても「女は採らない」「わたしが事務所に帰ってきたらすぐに食べられるよう飯をつくれ」などのイジワル・非常識発言を連発され、「やりがいある仕事」がいつのまにか「雇ってくれる仕事」に変わり、結局、今の団体に落ち着きました。今の仕事は100人中100人が眉をひそめるであろう仕事。出張先では、「帰れ」「アホ」「天下り財団のクセに」というばせいを浴びせられ、事務所に帰れば、ことなかれ主義で業務改善や人材育成などには程遠い所。ずいぶんがんばりましたが、業界全体の体質なので、自分の力ではどうにもなりませんでした。それでも働きつづけているのは、気晴らしをするにも、転職活動をするにも、先立つものが必要だから。今、「何のために働いているの?」と聞かれたら、間髪入れずに「お金のため」と答えるでしょうね。今日も自分を殺して働きつづけるしかない。養ってくれる亭主がいるわけでもないし、老親や今後の人生設計のためにも今はガマンするしかないと言い聞かせています。

今はすごく苦しい(tomoko)

今の仕事はインターネットビジネス関係なのですが、とてもつらいです。技術の進歩がとても速く、それについていくのはしんどいし、上司からの無理難題をカタチにして行く作業は本当に難しいです。でも、友人たちからわたしの仕事の評価をしてもらえれば、やりがいを感じることもあります。でもやっぱり苦しいときのほうが多いかも。今年は何度か仕事とは関係のない資格を使って、小学校での出張授業を行ないました。これはかなりいい息抜きになっています。反省することもでてくるのですが、次はこうしようと前向きに物事を考えることができます。「仕事が楽しい」っていうのは、いつも前向きに働けるということを指すんでしょうね。

OTHERS

働かないことは、幸せな暮らしにつながるのか?(Bon)

川合さんのいう「無理に働かなくてもいい環境」は実現可能と思います。実際、先進国はこのままいくと、一部の有能な人たちとロボット技術だけがあれば十分な社会となり、労働集約的な仕事は機械か途上国に任せるということになるでしょうし、すでになりつつあります。しかし、こうなったからといって、働かなくてもいい人々は本当にのんびりと幸せに暮らせるのでしょうか?たとえば、衣食住に不自由がなくとも、一部の有能な人々の活動をうらやましがるかもしれません。また、有能な人たちも自分たちと働かない人々の生活を区別したがるでしょう。おそらく二極化が進み、何もしなくていい人々が、何もしないで満足できる(=社会の害にならない)ように、持てる時間を何に使うのかが問題になってくると思います。

会社に依存しないこと(moremore)

働くことが楽しいのはすばらしい、わたしもそう思います。でも、会社がつまらないから働くのがつらいと思う人が多いように、会社が面白いから働くのが楽しいという人も多いはず。その中には、会社が楽しいのか、働くことが楽しいのか、区別かついていない人もいるのではないでしょうか。そして、知らない間に会社に依存してしまう。懸命に働き、スキルや能力を身につけているよう人ほど、会社に依存している。あるとき、職場の環境や人間関係に変化が生じ、それによって会社がつまらなくなり、楽しかった仕事もつらいものになる……。社会人になって7年、わたし自身は1つの会社に勤めつづけていますが、そうやって辞めていった人を何人か見てきました。いまの仕事が楽しいのならば、それは会社が楽しいからなのか、働くことが楽しいことなのか、冷静に考える必要があると思います。逆に、仕事がつらいならば、それは会社のためなのか、働くことのためなのかを見極めて、会社の環境を改善するのか、新たな仕事を探すのか(あるいは働くことをやめる)をする必要があるのでしょうね。川合さんのコメントを読んで、そんなことを思いました。

必要悪かもしれない(august)

働かなくて良い社会は、かつてのローマのように飛躍的な文化や芸術の発展が見られるかも知れません。でもそれは一部の人たちの間でのことであって、多くの人々は堕落するのではないでしょうか。その結果、外部からの侵略をうけるか(これが現代において何に当てはまるのかわかりませんが)、自ら滅びてしまうか、ということになると思います。多くの人たちにとって働くことは受動的なことなのかもしれません。しかし、その中の一部であっても、前向きになれるものがあることで人間は堕することなく、日々の生活を営むことができるのでしょう(このサイトをご覧の方には、そうではない立派な方が多いのかもしれませんが)。働くことそのものが楽しいことではなくても、人生そのものを楽しむために、働くことは必要なのだと思います。とくにわたしのような怠惰な者にとっては必要悪かもしれません。

成熟した大人の態度ではない(よねよね・埼玉・未婚・30歳)

「楽しくなければやめればいい」「楽しいふりしてるだけ」という意見には賛成できません。そもそも働くってことは、かならずしも楽しさや喜びばかりではないのではないでしょうか?勤労にはやはり義務的な側面がついてくると思います。基本的に自分の生活は自分で稼ぐのが、健康な大人にとっては当然だとわたしは思っています。お金を稼ごうと思ったら、楽なことばかりじゃない、これも当然だと思います。仕事に多くの時間や力を注いでいるのは事実ですから、なるべくなら「楽しい」と思いながら仕事をできたほうが良いですよね。そのために、小さな出来事に喜びを見だしたりして、自分のモチベーションを維持していくのは、ある種の「生活の知恵」かもしれません。もちろん、本当に嫌なのを我慢してまで、その仕事を続ける必要はないと思いますけれど。「楽しくないことはやらない」というのは、成熟した大人のとるべき態度ではないと思います。

当たり前じゃないの?(dako)

仕事が本当に楽しい人は幸せだと思う。人から幸せと思われたくて、楽しいフリをしている人もいるかもしれないけど。大多数の人はお手伝いさんでも雇って一生遊んで暮らしたいはずですよね。宝くじが売れるのは、そういうことじゃないかなぁ。わたしは、仕事をお金をもらうためのものだと割り切っています。多少トラブルがあっても、それも仕事の一部。給料に見合わない我慢があれば、さっさと転職します。家事をするのは家庭を持つ人間として当然。子どもだって、お手伝いや自分の身の回りのことをするのは当然のことだし。しなきゃいけないことなら、少しでも楽しく……と思うのも当然。無理矢理楽しくしてるわけでもなく、前向きに生きていこうとする姿勢なのでは?

昨日までのみなさんの投稿を読んで

本当の意味で「働くこととは何なのか」を考える必要がある

無理に働く必要がない社会になったら、人はみんな働かずに生きていくのかな? そんな社会になったら、人は堕落してしまうと考える人もいます。でも、そうかな? 20世紀、人はみんな一生懸命働きました。働いて働いて、がんばってがんばれば、素晴らしい未来になると考えていました。でも、21世紀を迎えた今、それは正しかったのかどうか……。
働くこととは何なのかを再確認する必要があると思い、今回はこんなテーマを設定しました。これが最終コメントです。

僕は21才で創業しました。今年で17年になります。また、創業前のサラリーマン&フリーター時代を加えると、経済活動歴は23年になります。お金のことだけ考えて働いたのは3年くらい。何度か大もうけもしましたが、残ったのは虚しさだけでした。社員や家族や、身の回りの人達を幸せにするんだ! 守ってあげるんだ! と考えて働いた時代も……。またまた3年くらいすると、何かがおかしいと感じるようになりました。でも何がおかしいのか、さっぱりわからず、長い長い期間悩み続けてしまいました。

いま振り返ると、当時は利己的だったと思います。身内と他人に分け隔て、身内をだけを守ろうとしていたのですから。自分は経営者には向いていないと思いました。それで自分がどう生きていくのかを考え、自分のことをよく観察しました。それでわかったことは、自分の楽しさやうれしさは、他人との関係性で生まれてきている事実でした。利他心は後天的にそう考える努力によって生まれていると思っていましたが、先天的な存在であることを確信しました。人は誰かのためになれることに喜びを感じ、楽しく生きることができる生き物なんだと思います。だから、働く必要のない社会になっても、人は誰かのためになれる何かをすると思います。

今の時代はお金がないと不安に感じる人が多いですが、お金なんか要らない社会になるかもしれません。お金の本質は「ありがとう」という気持ちを物質化したものじゃないかと思います。だからお金のために働くというのはおかしいのです。順番が違うのです。本当に働くことが楽しい人は、このことをよく知っている人だと思います。20世紀は、やたらと経済活動に専念しすぎました。無駄にたくさんのモノをつくりすぎてしまいました。環境も破壊してしまったし、処理しきれないゴミも生まれてきました。21世紀を生きる人間として、反省しなければならないことが一杯あるのに、盲目的に経済活動を続ける人。働かないと生きていけないからと、訳のわからない会社で泣く泣く我慢して働く人。また、前向き&ポジティブという言葉のもと、利己的な会社組織の片棒を担がされている人……。21世紀に今生きているわたしたちは、本当の意味で「働くこととは何なのか」を考える必要があると思います

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