

子どもを介してならわかるけれど(しど・大阪・既婚・34歳)
主婦向けサイトも、よくのぞくのですが、ハンドルネームで「たっくんママ」、「あやかママ」とかご自分を名乗っていらっしゃる方が多いですね。幼稚園などで、自分や相手の子どもを介しての会話でならまだわかるのですが、公的な場ともいえるネットのサイト上でのハンドルが「○○ママ」って……。この人、「○○ちゃんのママ」である以外に自分のアイデンティティがないのかしら? って思ってしまいます。それに疑問なのは、今の母親たちってほとんどが自分を「ママ」って呼ばせているのでしょうか? 「お母さん」じゃダサイとでも? 「ママ」なんて全然格好良いとは思えないけれど。日本人だから「お母さん」っていう暖かな素敵な日本語を使えばいいのに。わたしは、もし子どもができて、保育園などで他の母親たちと子どもたちを介して話をする場合、子どもに説明するのに「○○のお母さんだよ」とは言うかもしれないけど、よその子の母親本人には「××さん」とご本人のお名前でお呼びしたいし、わたしもそのように呼んでほしい。それ以外の場では、自分で「ママ」と名乗るのも、他の人を「××ちゃんのママ」と呼ぶのもいやですね。

いろいろな呼び名があれば楽しいかも(Maja)
わたしは「○○の××」という呼び方のバリエーションがいろいろあります。その場その場で仕事も呼び名もカメレオンのように変わります。最初は自分のアイデンティティが定まらず、自信が持てませんでした。どの名前も全部わたし自身の生活の一部分であり、愛着もあります。それぞれの場面で役割を演じているような感覚を楽しんでいます。最近は「○○ちゃんのママ」と呼ばれることもなくなり、ちょっとさびしい気がします。人生の中の一時の呼び名かもしれませんが、大事にしたい。
「○○ちゃんのお母さん」を元気に演じられるようになりました(TERU)
10年前、娘を妊娠、出産して会社を辞めてから、社会から切り離されたような気がして、ノイローゼ寸前までいきました。保育園に預けて仕事を始め、やっと元気に「○○ちゃんのお母さん」を演じられるようになり、今ではそう呼ばれることに何の違和感もありません。わたしには母親だけでは物足りなかったようです。
うれしいです(シアン・東京・既婚・28歳)
「○○ちゃんのママ」と呼ばれることはとてもうれしいことです。ママとして「コレで良いのだろうか?」と迷うことが多いので、そう呼ばれることで実感できるとともに、大好きな息子のママだという喜びがフツフツと湧いてきます。でも仕事を持っているので、名前で呼ばれることが日常的にあるからこそ、うれしいと思えるのかな、と思います。ママ友と、どう呼び合うかってすごく難しいです。「○○ちゃんのママ」って呼ばれることをいやがるかもしれない、とか考えてしまって。でも公園とかで会う場合、何となく知り合いになることが多いから、改めて自分の名前を紹介するべきかどうか迷いますよね。そんな時は、おもちゃに名前が書いてあったりすると、姓がわかるから助かります。姓で呼べるから。わたしも書かなきゃ!
わたしの中の一つの顔(コアントロー)
わたしは「○○ちゃんのママ」と呼ばれてもいやではありません。でもずっとそうなのかと言われれば、そうではありません。以前、育児に追われていた時には、専業主婦なので、家庭以外に自分の世界がなく、「○○さんの奥さん」や「○○ちゃんのママ」と呼ばれることに抵抗がありました。「わたしはわたしよ! 」と心の中で叫んでいました。しかし、現在は育児も一段落して、いろいろな講座を受けたり、習いごとをするようになりました。そこでは「○○さん」とわたし個人を呼んでくれます。(苗字自体は夫の姓ですが)そうなると、「○○ちゃんのママ」と呼ばれても抵抗がなく、その呼称も、わたし自身の一つの顔なのだと思えるようになりました。今では子どものお友だちのママの呼び名は、「○○ちゃんママ」のほうが親しみがこもっているとさえ思うようになりました。

大人同士の付き合いで……(nanalam・兵庫・既婚・34歳)
表題を見て、改めて、子どもの友だち以外から、「○○ちゃんのママ」と呼ばれることがあったかなぁ? と考えるくらいなじみがありません。わたしが、お母さん同士の付き合いの中で、使うことも、ほとんど、ありません。子どもたちが、使うことにはもちろん、抵抗がありませんが、大人同士の付き合いで、面と向かって、「○○ちゃんのママ」と呼ぶことがあるのですか? その方が、びっくりしました。
「この人は誰のお母さん?」(ゆっぺ)
わたしには子どもがいないので、「○○ちゃんのママ」と呼ばれることは当然ありません。でも、4歳上の姉(地方都市に住んでいて1、2年に1回しか合わない)の子どもが3歳くらいのころ、久しぶりに会ったわたしのことを「この人は誰のお母さん?」と姉に聞いたのには参りました。この間も、横浜に遊びに来ていた姉、わたし、2人の甥っ子(当時5歳と6歳)で、シーバスを待っていたのですが、その時、姉は5歳の子と手をつないでいて、わたしは6歳の子と手をつないでいました。側にいたおじさんが、わたしと一緒の6歳の子に向かって「お母さんと一緒に来たんだ。よかったね」と言いました。甥っ子は、わたしが自分の母親の妹だということも、わたしには子どもがいないということも理解してたのですが、そのおじさんの言葉に、非常にあせったのでしょう。「ぼくのお母さんはあっちの人。この人はよそのお母さん」また、またガクッときました。子どもにとっては、大人の女の人は「どこかのお母さん」。子ども中心の頃は「○○ちゃんのママ」でもしょうがないのかな?
子どもがいない人は?(nargo・東京・既婚・33歳)
「○○ちゃんのママ」とは、子どもありきの呼び方であり、子ども中心の生活の延長に感じます。子どもが成長してしまったら、あるいは子どもがいない人は、どのように呼ぶのでしょう。わたし自身は子どもがいてもいなくても、苗字や名前で呼ぶよう心がけています。

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