

わたしはわたし!所有物ではない(Misao)
「○○ちゃんのお母さん」……で、まるで所有物になってしまうのがいやなのも、仕事をしている一因かな。仕事では、わたしは「一社会人」であり、「一個人」です。お母さんになったという喜びもあるけれど、やはり、わたしは一人の人間として見られたいと思うのです。
「お姉さん」と呼ばせていました(こしょう・茨城・既婚・52歳)
昔物語になりますが、子どもが小さい頃から「○○チャンのおばさん! 」と呼ばれることに密かな抵抗を感じて「お姉さん」と呼ばせていました。そう呼んでくれるまで返事をしなかったら、いつの間にか定着?しました。まだ若かったし、そう呼ばれることで自分の気持ちを「おばさん」にしたくなかったのかも……。主旨とはチョット違ったかもしれないけどフト、思い出しました。ちなみにその子たちは、成人した今でも習性で、わたしのことをお姉さんと呼んでくれてます。
「おまけ」みたいでイヤ(まるやままゆみ)
「○○ちゃんのママ」、「○○さんの奥さん」じゃ、なんかグリコのおまけみたいです。キャラメルのおまけ、チョコレートのおまけ……。付属品にはなりたくない。
そういえば……なぜなんだろう?(そよっち・群馬・37歳)
「○○ちゃんのママ」と呼ばれるのは、いやですね。自分の子どもがかわいくないからとか、そういう次元じゃないんですけれど、あくまでも子どもは子ども、わたしはわたし、というスタイルでやっているので、母と子どもがワンセットになってるような「○○ちゃんのママ」って呼び方はすごく嫌です。娘の保育所時代は、一部のお母さんたちや保母さんは使ってましたけれど、同じクラスの人たちではあんまりそういう呼び方はしてなかったような……?みんな仕事を持っていて、個人名で呼ぶことに慣れていたせいかもしれないですね。

中身で勝負(にゃおさん)
呼ばれ方をいちいち気にすることもないのでは。「○○ちゃんママ」と呼ばれるのは、子どもを介しての世界。まさか職場でそう呼ばれることもないだろうし。その場その場で、ママになったり職業婦人になったり、いろんな顔を持ってるほうが素敵ですよね。呼ばれ方より中身で勝負できるようにしたいですね。
ほんの少しの間ですもん(ネコヤナギ・既婚・36歳)
20代半ばで一人目の子どもを産んだ時は、家庭に入って間もなかったこともあり「自分」の居場所が見つけられずにいた時期と重なりました。そのまま「○○ちゃんのママ」であり、「○○さんの奥さん」にしかなりえなくて寂しい気持ちになったものでした。しかしそれから10年が経ち、自分を認められる場が増え、自信も持てるようになると、呼び方なんて気にならなくなります。もし今、「○○ちゃんのママ」としか呼ばれなくて、不満を感じていらっしゃる方がいられるとしても、それは長い人生の中ではほんの一時ですよ! 数年もすれば子どもは手から離れるようになり、ママは一人の女性として、また自分の立場で評価されるようになります。10年経って、今また子どもを授かったわたしは、今度は「○○ちゃんのママ」であることを楽しみに子育てしていくつもりです。
いろいろな呼び名があれば楽しいかも(Maja)
わたしは「○○の××」という呼び方のバリエーションがいろいろあります。その場その場で仕事も呼び名もカメレオンのように変わります。最初は自分のアイデンティティが定まらず、自信が持てませんでした。どの名前も全部わたし自身の生活の一部分であり、愛着もあります。それぞれの場面で役割を演じているような感覚を楽しんでいます。最近は「○○ちゃんのママ」と呼ばれることもなくなり、ちょっとさびしい気がします。人生の中の一時の呼び名かもしれませんが、大事にしたい。
どんな表現で呼ばれてもわたしはわたし(もなこ・大阪・既婚)
子育てが生活の中心の時期はどうしても子どもがらみのつき合いが多くなる。他の子どもにも「○○ちゃんのお母さん」と伝える方がわかりやすい。言葉は、伝達の手段なのだからそれはそれで良いと思う。ただ自分の意識の中でも、どっぷり子どもの母親だけだとやはり物足りない。子どもはいつか離れていくのだから。
「○○ちゃんのお母さん」を元気に演じられるようになりました(TERU)
10年前、娘を妊娠、出産して会社を辞めてから、社会から切り離されたような気がして、ノイローゼ寸前までいきました。保育園に預けて仕事を始め、やっと元気に「○○ちゃんのお母さん」を演じられるようになり、今ではそう呼ばれることに何の違和感もありません。わたしには母親だけでは物足りなかったようです。
それが「わたし」です(萌ママ)
「○○ちゃんのママ」になったからこそ、今の自分があります。自信が持てたり、チャンスを得たり……。だから、「○○ちゃんのママ」と呼ばれることは、とてもうれしいことです。誇りを持っています。行動が伴っていれば、「○○ちゃんのママ」だけでは終わらないこと、言うまでもないのではないでしょうか???

「この人は誰のお母さん?」(ゆっぺ)
わたしには子どもがいないので、「○○ちゃんのママ」と呼ばれることは当然ありません。でも、4歳上の姉(地方都市に住んでいて1、2年に1回しか合わない)の子どもが3歳くらいのころ、久しぶりに会ったわたしのことを「この人は誰のお母さん?」と姉に聞いたのには参りました。この間も、横浜に遊びに来ていた姉、わたし、2人の甥っ子(当時5歳と6歳)で、シーバスを待っていたのですが、その時、姉は5歳の子と手をつないでいて、わたしは6歳の子と手をつないでいました。側にいたおじさんが、わたしと一緒の6歳の子に向かって「お母さんと一緒に来たんだ。よかったね」と言いました。甥っ子は、わたしが自分の母親の妹だということも、わたしには子どもがいないということも理解してたのですが、そのおじさんの言葉に、非常にあせったのでしょう。「ぼくのお母さんはあっちの人。この人はよそのお母さん」また、またガクッときました。子どもにとっては、大人の女の人は「どこかのお母さん」。子ども中心の頃は「○○ちゃんのママ」でもしょうがないのかな?
少しの間だからいいじゃないですか(のほほんだいすき)
高2の一人娘がいますが、「○○ちゃんのママ」、と呼ばれていた幼稚園時代が懐かしい。中学校、高校と進んでいくと、PTAに関わっていても、自然とちゃんと名前で呼ばれるようになるものですよ。
肩書きにすぎない(仁)
本当はみんな肩書で評価されるのも、評価するのも、好きではないと思います。効率がいいので、そういった呼び方がされていくのだと思います。肩書の例:「社長、破産した人、子どもいる人、女性だけでベンチャーを起こしたい人、×1(ばついち)の人、80歳の人、1歳の子……」みんな肩書だと思います。

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