

「お顔を見てね」(masamiogawa・神奈川・35歳)
わたしには4歳の娘がいます。普段、叱る時などにわたしが「ママの顔を見てね」と言うことがあります。車に乗っている時に、娘がわたしに「お顔を見て」と言う時があります。「運転しているので危ないから」とその時は断っていますが。でも、あまり真剣に答えず、いい加減に返事をしてる時などはよく「お顔を見て」と言われますので、話はちゃんと聞いてあげようと日頃から思っています。仕事でも家庭でも、人の顔を見て話をするというのは、とても大事なことです。娘にもそのことを教えてあげたいと考えています。
聞くことは相手を受け入れることだから(kaho・既婚・36歳)
子どもにはたくさん話したいことがあるようですが、いい加減な返事をしていると、その態度が伝わってしまいますね。まずは受け取る側の、親の精神的余裕が必要だと思います。余裕があれば、ゆったりとした気持ちで、子どもの言いたいことが言い終わるまで「聞く」ことができます。ほかのことに注意が向いていると、ついつい話をほかのことに誘導するか「あとでね」とさえぎってしまいます。親のこうした小さな日常が、子どもの発言力や言葉の獲得に大きな影響を与えてしまいます。
「いただきます」にもちゃんと答えないとね!(YUUYUU・新潟・既婚・38歳)
わが家には、小学6年生の女の子と年長の男の子がいます。お姉ちゃんは食事の時「いただきます」を言ったら、家族みんなが「どうぞ」と言わないと気にいらないのです。みんなが言ってくれるまでずーっと言い続けるのです。
子どもの身の丈に合わせて(馥郁たるコーヒー・大阪・既婚・46歳)
長男は、小学校3年生になる少し運動の苦手な子どもです。ときどきキャッチボールをしますが、グローブの使い方が下手で、男の先輩としてはイライラして、上から押さえつけるようなアドバイスをしていました。すると、彼もカチンと頭に来てキャッチボールは終了、というパターンでした。でも、昨日は「受けにくいところへは投げずに、彼がボールを受けられるところに投げればいいんだ」と気づき、そのようにしてみると、以前のようにはならないで楽しく終わりました。大人・親の欲目や基準ではなく、子どもの今の能力に合わせた視点で付き合うことが大事だと思いました。話ではありませんでしたが、子どもとのコミュニケーションという部分で、最後まで聞き(付き合い)ました。
聞き逃すと、困った誤解が(きりきり・既婚・36歳)
小学校に入った今、夜寝る前と、駅まで送る車中が貴重なコミュニケーションタイムです。寝る時はわたしとの時間、車の中は家族での時間、休日は夫と息子の時間。困ったことをぼそっと言うので、気をつけていないととんでもない誤解が起こってしまいます。ですから、息子が話す時は取り急ぎ聞くことにしています。
疲れているせいか、集中力の低下か(cbkumachan・神奈川・30代)
わが家の一人娘は小学校3年生になり、いよいよ思春期が始まりそうな時期です。最近、娘が話している時に、話をよく聞き漏らします。聞き返すと「もういいよ」とそっぽを向いてしまう時があるので、ちゃんと聞いてあげなければならないと思いつつ聞き逃してしまうのは、わたし自身が疲れすぎているせいか、それとも集中力の低下か……。子どもが何歳になっても、話を聞いてあげることは大事ですよね。
聞いてあげたい気持ちはありますが(かおりん参上)
小学校1年生の息子を持つ働く母です。話せばそれなりにすっきりすること、ちょっと元気がない時などは愚痴のような話を聞いて、「それは悲しいねぇ」とか同意することはあります。たとえば、一緒にどこかに行きたいとか、何かしてほしいという話で、こちらが仕事の都合で、話をゆっくり聞くのが無理という場合でも、少し聞いて「今度ね」と言えばいいと思います。でも、子どもの言いたいことが甘えで、聞くだけで結論を出さなくてもいいことや、聞くことが一時的な慰めでしかないなと思うことが頻繁になると、途中で遮って違う話に誘導しちゃいますね。わたしの答えの中身より、話すこと自体に、心の効果があるとわかってはいるのですが。
両親を反面教師として(erry・東京・既婚)
小さいころ、親に自分の考えを話そうとするたび「ヘリクツばっかり言って! 」と怒られて、話を全然聞いてもらえませんでした。わたしも反抗期で生意気なことも言っていたのでしょうが、少なくとも聞いてほしかったし、寂しかったです。ですからわたしは、自分の子どもには、断定するようなことはぜったいに言わないと心に決めています。
どんな時も聞くようにしています(belindy)
忙しい時などはうっとうしく思う時もありますが、話を聞いている姿勢は見せるようにしています。余裕がある時には、必ず目を見て、子どもの話を聞いています。話を聞いてもらえないのは、大人だって気分が悪いものです。ですから、子どもの話はどんな時にも聞いてあげなくてはいけないと思います。

他人と比較しないようにしたい(虹色)
先日、友だちと遊びに行った小学2年生の息子が、足首を捻挫して帰ってきました。足をひきずって歩いていたのですぐに気づきました。見ると少し腫れているかなという感じでした。痛がっていましたが、いつもどおり元気だし、一応湿布も貼りました。もともと甘えん坊なところもあるし、「よくあること! 」くらいの気持ちで接していました。次の日が休日だったので散歩に出かけたのですが、彼は足をひきずりながらもニコニコと歩いていました。わたしを含め、周りの大人は「少しオーバーだな」という気持ちで見ていました。しかし、夜になって足を見ると、紫色に腫れあがって痛々しいのです。翌日、病院で診てもらいました。骨には異常がなかったものの、内出血がひどく2週間はおとなしくしておくようにと言われてしまいました。今は足がサンタのブーツのようになっています。今回のテーマとは少し違うかもしれませんが、「わたしがもう少し、しっかりと子どもの様子を見ていたらこんなにひどくならずずんだかも……」ととても反省しています。このことも含め、子どもに対していい加減な対応は絶対によくないなぁと思いました。他人と比較するのではなく、彼は彼として見てあげないとと思いました。
話は聞いてあげるものではないのでは?(JINA)
話を聞く姿勢、相づちなどの反応、あるいはインターセプト。夫やほかの大人や子どもに対してはしないのに、わが子には平気でしている「失礼な行為」はありませんか。わたしの子どもが幼いときに、そのことにふと気づき「夫に対してとらない態度は、子どもにもとらない」と自戒しつつ、向き合ってきました。ですから、わたしは「聞いてあげる」という表現自体に子どもに対して優位に立つというスタンスを感じてしまいます。聞かせてもらおう、と思うほうが良い関係が築けると思うのですがいかがでしょう。
一定の感情を保つことの難しさ(kanemai・神奈川・未婚・27歳)
両親が仕事や家事で疲れている時、忙しい時などには、やっぱり話かけづらい雰囲気があったような気がします。親も人間ですから、いつでも一定の感情を保つなんで難しいですよね。

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