

創造性を削がれるようなコメントに傷ついた(みぽりん)
わたしは小学生のころをアメリカで過ごした帰国子女なのですが、帰国した後に日本の学校でたくさん嫌な思いをしました。カリフォルニアの文化の影響を受けていたためか、造形や色彩感覚が派手だったらしく、図画工作の時間に「やっぱりアメリカ帰りは違うよね」とか、創作の途中で「これ、○○(ほかの生徒)のまねしてないか?」とか、いかにも「お前は変だ」と言わんばかりのコメントばかり。でも完成した作品は個性的で誉められたり、作品展に出品されたりしていたのですが……。あの時の創造性を削がれるような先生たちからのコメントは本当に不快でした。
暗い色使いが気になる(トリニティー・未婚・30歳)
甥っ子の描く絵に敏感になっています。暗い色使いだったりすると、精神的に病んでいるのだろうか?など勘ぐってしまいます。

わたしの個性を尊重してくれた美術の三浦先生(sasayuri)
わたしが中学校の時の美術の三浦先生は、課題にばか正直に取り組まなかったわたしの絵でも認めてくれて、なぜか「よく描けた絵」として、教室に張り出す1枚に選んでくださいました。その時の課題は、向かい合った友人を描くというものでしたが、わたしは彼女の目が印象的だったので、周りの生徒がそうしたように彼女の全身を画用紙の中に小さく入れるのではなく、めいっぱい顔をアップに描きました。今でもわたしが絵を描きたい、絵って楽しい、と思う気持ちを持ち続けているのは、その時の体験のおかげ。感謝しています。
「創造の糧」になるようなひと言を(ももた)
わたしには子どもはいませんが、子どもに絵を教えた経験があります。教えるたびに、子どもは自分の考えの及ばないところまで描く、すてきなものを持っていることを痛感させられます。その絵が持つ素晴らしさを子どもの絵に添えて、子どもにわかる言葉で感想として手紙を書いたこともあります。子どもが使う色、線、形を、子どもの視点に立って理解すること、子どもの感覚に規制をもたせないこと、教える立場の自分が刺激されるほどのすてきなパワーを認め、育てること。どれもとても難しいことだと思います。これほど感受性の豊かな子どもにわかってもらえるように、「○○したほうが」ではなく、「その○○がいいね」など、かける言葉には苦労することもあります。
思い起こせば、わたしが小学校のころの図工の先生は、見たこともない素材を与えてくれ、知らない道具を自由に使わせてくれ、でき上がるものがそれぞれまったく違っても、すべての作品を飾って、それぞれの「すごい」ところを一つ一つていねいに、みんなに話してくれていました。他人の個性、他人の価値を認める感覚は、小学校のこういった授業から学んだ気がします。子どもは、「全体の中の自分の評価」も気にしますが、「自分の作品の物語の大切さ」も気になるのではないでしょうか。干渉ではなく、その作品と子どもと一緒に対話する、といった楽しさを、子どもと共有できたらいいなと思います。わたしは、子どもが、わたしのちょっとしたひと言を「干渉」と受け取らず「創造の糧」にしてくれるよう願って、努力しています。
先生の意向が生徒に反映される不安(hidy・神奈川・既婚・40代)
自分が小さいころは、展覧会で入選するのは当たり前でした。夫とは絵を描くクラブで知り合いましたが、2人の子どもは入選には縁がありません。DNAはどうした?という気がしますが、学校では、かなり自由に描かせているので、そのままにしています。というのは、娘が小学校低学年のころ、1組と2組で同じタイトルで自由画を描かせたところ、1組の絵が同じような絵ばかりになっていて、みんなバラバラの2組の絵とはまるで違っていたのです。これは、子どもたちの個性の差というよりも、担任の先生の意向が反映されたものだと感じ、ちょっと恐ろしくなりました。それから、娘の絵にはあれこれ言わないように心がけました。3年生からは、専門の先生が図工を教えていますので、そういうことはなくなったようです。子どもに絵の教室に行ってみないか、と勧めたこともあったのですが、興味を持ってくれませんでした。ロコさんのワークショップがどのようなものか、わたしのほうが興味があります。

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