

もっと厳しくしないと……(DORI・大阪・既婚・40歳)
かなり問題があると思います。少年であるというだけで、どうしてそこまで残酷になれるのかと思うような犯罪に対しても、日本はあまりにも少年に対し寛大(?)すぎる。今は少年法ができた頃の日本ではない。まったく違った国になっていると思います。年齢のみが少年で、この溢れるほどの情報が得られる社会の中で悪知恵(あえてそう書きますが……)はしっかりついているはずです。被害者の方々がかわいそうでたまりません。
罪の重さを理解させるまでにいたっていない(rizucherry)
犯した罪の内容ではなく、年齢で判断しているところが、まずおかしいと思う。人として、してよいこと・そうでないことを認識させることから、罪の償いもきちんとさせなくてはと思う。亡くなった方、家族への配慮もまったく感じられない。こんな中途半端なやり方で、罪を犯した者が安易にやり直しができるものか疑問だ。
被害者やその家族は何も取り戻せない(KAHO)
先日、TVドラマで「リンチ殺人事件」を題材にしたものがありました。被害者には加害者の名前さえ教えられず、どんな処分をされたかも教えられないということを知りました。これも少年法で守られているためだといいます。そして、酒鬼薔薇の事件の時のように、被害者の名前は公表されるのに、最後まで加害者の名前は公表されません。未成年は名前が公表されないため、一定期間の後に社会復帰でき、社会の一員として働くこともできるのに、殺されてしまった人は殺されたまま、遺族も何も取り戻すことはできません。人を殺したりすることは、大人だろうが子どもだろうが許してはいけないことです。少年法は一部厳罰化されたような印象を受けるだけで、子どもを失った人たちの悲しみとかそういう人の痛みを少しも理解できていない作りのような気がします。
善良な市民が一番リスクを負うの?(tomoko)
山口県光市の事件の報道を見ていて、今の法律は本当に被害者の立場を考えていないと思います。法学部出身の友人たちはみな口を揃えて「法律は、犯罪者を懲らしめるために作られたものではない」「被害者やその周りの人間が、加害者に対して重罰を望むという考え方こそが危険な発想」「裁判は前例を元に判決を出す」と言います。確かに、法学の教育としては正しいかもしれません。でも「自分は法律に守られているんだ」という安心感を加害者に与えているのではないでしょうか? そして、わたしたち、なんの罪もない善良な市民が常にリスクを負わないといけないのですか?
フォローアップ体制が整っていないのに(にゃおす・既婚・31歳)
少年だろうが成人だろうが、更正のチャンスがあるかどうかはケースバイケースであろうと思います。現在は年齢というある一面的な基準からなるカテゴリで一括りにしてますが、もっと個別の事件に対して臨機応変な態度をとるべきではないかと思います。判例主義というのは、見方を変えると司法の怠慢ではないかとさえ思えてきます。もしも少年という括りを活かして本当に更正をさせていこうとするならば、現状で一番欠けているのはフォローアップ体制でしょう。更正施設での数年が終われば、後は放免というだけでは無責任といわざるを得ません。チャンスを与えたことに対する責任をまっとうするという考え方はないのでしょうか。司法はチャンスを与えるだけ、後は「勝手にがんばって」の現状では、現在の「少年に対する更正のチャンス」を活用できないどころか、新たな犯罪に手を染めさせるチャンスを生み出しているとも言えそうです。少年法を制定するよりも前に、フォローアップを充実させるのが先だと思います。
追跡調査でしっかり更正させてほしい(ごまちゃん・神奈川・既婚)
少年法は問題が山積みしていると思います。いつも事件の報道などを見て思うのですが、加害者の人権ばかり守られて被害者の人権がないがしろにされていると感じます。また、数年間の刑期や保護処分期間を終えた加害者のその後を追跡調査して、再犯率などしっかりしたデータを取り、犯罪を犯した少年を更正させる手段をもっと考えたほうがいいのではないでしょうか。一般市民としては、抑制のきかない猛獣が野に放たれたような状態では、安心して生活できません。
人の命を奪った者は、自分の人生も(コアントロー・既婚・37歳)
未成年による殺人などの犯罪が報道されるたびに、どうして加害者の人権ばかり保護されるのか疑問に思っていました。被害者は名前や顔写真、家やプライベートなことまで、どんどんリポーターの俎上にのせられますから。もちろん犯罪を犯した少年の更生を考えてのことですが、たとえば殺人を犯したのなら、一生十字架を背負っていくくらいの罪の意識がなければ再犯は避けられないのではないでしょうか。死んだ人は、加害者がどんなに後悔しても生き返ってきません。自分以外の人間の人生を無くしてしまったのですから、加害者自身の人生も無くなっても、ある意味では仕方がないのではないでしょうか。そのくらいの厳しさを社会が持っていてもいいと思います。ただ更生を考えている少年には、きちんとしたフォローをしていかなければなりませんが。

人の痛みを知る教育を(saver)
少年犯罪で思うことは、当事者が人の痛みを知らなさすぎることです。それは「自己中心的で衝動的な行動が悲惨な結果を招くという予測ができない」からだろうと思います。以前は幼少期からの教育や体験を通して「人の痛み」を知っていました。現代では社会の環境が大きく変わってしまい、それを体得することが難しくなっています。ですから、社会的な教育という特別のプログラムが必要になっている時期ではないかと思います。少年法の改正は必要であると思います。改正による少年犯罪の抑止にはある程度の効果は期待できるとは思いますが、自己中心的で衝動的な行動の抑止ができるかどうかは疑問です。少年法の改正と併せて、他人や社会との関わりを学び取ることができるプログラムが必要であると痛感します。

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