
答えはドラマチックなものがいい(Availability・愛知・パートナー有・30歳)
知りたいです。疑問を投げかけられると答えが知りたくなるのは自然なこと。この世の中に知人がいない人などいないと思うから、1ヶ月たった今でも素性が分からない彼を見て、本当に未来から来た人じゃないかと感じてしまう。答えはドラマチックなものがいいけれど、彼がどこの誰であろうと、ドラマチックな演出で報道されるのでしょうね。ただ、こんな素敵な話も、しばらくすれば過去記事になってしまうと思うと寂しい気がします。そこそこのイケメンで影のある男、そしてこれだけ報道されれば、彼のファンはすごいでしょうね。
謎を秘めているから魅力的(binko・大阪・パートナー有・43歳)
謎のピアノマンだから話題になるのです。これが謎のウクレレとかギターとかなら、こんなに話題にならないと思います。最近の曲ではなく、クラシックを上手に弾き、紳士の格好で、若くて顔も悪くない男性だから、また、プロ並みの腕前を持ちながら、世間では無名であることから、まさしく謎の魅力をたくさん秘めていることに話題があるのです。映画にある、現代の「海の上のピアニスト」のような人かもしれないと密かに思われる節も……。夢があるではないですか……。夢のある話題は大好きです。
ニュースバリューとは別の問題(ドクトル・シマコ・京都・パートナー有・24歳)
正直、気になります。でも、だからといってニュースバリューがあるというのではないと思います。新聞記者をしている大学時代の先輩と最近、ニュースバリューについて話したことがありました。彼の考えでは、ネット上の新聞記事のアクセス数もその記事の価値を反映するとのことでしたが、わたし自身はアクセス数はただの野次馬根性のあらわれだと思っています。「謎のピアニスト」記事のアクセス数はそれこそ桁違いだったことでしょう。しかし、本当のニュースバリューとは何かと、考えさせられます。

もっと有意義な報道を(ちぇりい・埼玉・パートナー有・44歳)
ピアノが弾けて白人でちょっとイケメンなのでロマンチックな匂いがしてマスコミが飛びついたという感じでしょうか。でもわざわざヨーロッパまで日本人が取材しにいかなければならないのかは疑問ですが。(前にテレビ朝日が、日本人がたくさんだまされているオーストラリアの宝くじの会社を取材したときは、おっ! スクープだ! と思いました)。この手の行方不明者なら、4年前くらいに香港から家族と出国してシンセンで行方不明になった知的障害者の少年を、日本のマスコミが総力をあげて探してあげたりなんかしたら、日中友好になるのではないかと思った次第です。
話題としてニュースを消費することの残酷さ(summerstar・沖縄・パートナー無・34歳)
ピアノマンが誰かは特に知りたくないですが、風太のニュースは時々見ます。気持ちが和むからです。動物のニュース以外になかなか心が落ち着くニュースが少ないですよね(NHKなどは小川とか花とかそういうニュースを良く流す気がしますが)。ただ、当の動物にストレスを与えるような報道、取材は止めてほしいと思います。また、鯨のニュースのときに思ったのですが、その鯨がどうして死んでしまったのか、そういったことをなくすために私たちに何ができるのか、そういった視点のニュースはなかったですよね。そう考えると話題としてニュースを消費することがとても残酷なことのように思えます。
節度を保った取材を(ぐーすか)
最初にニュースで聞いた時に、何かのトラウマで彷徨っているなら気の毒だな、ニュースで取り上げられることで身元が判って無事に帰れればいいなと思ったくらいで、後はぜんぜん興味がわきません。マスコミがどんどん勝手にニュースをつくっているようにも見えて、昨日など放送しているのを見てもすぐに他のチャンネルの他のニュースを見てしまいました。話題として知りたい程度の欲求のために、報道被害者を作るなんて馬鹿なことしないで、節度を保って取材して欲しいです。
視聴者のニーズと、ニュースの作為(三和子・埼玉・パートナー有・32歳)
「本当は一体誰なのか」知らなくてもいい、と思いながらも、興味津々で様々な憶測を眺めているような気がします。ライブドアの堀江氏が騒動の最中、ニュースの取り上げ方や執筆の仕方に、受け取り手に特定のイメージを強要する作為を感じる、という趣旨のことをよく仰っていましたが、その取捨選択の過程をどう評価するかという自由が与えられている点も、受け取り手から見た「報道」だと思いますし、特定のニュースが誇張されることはある意味需要があるからだと思います。おっしゃられるように、人間ってなんだろう……と受け取り手が想像を巡らせてみたいのでしょう。ピアノを何時間も引き続けること、切り取られていた洋服のタグ、びしょ濡れでタキシードを着ていたことなど、できすぎた話とも思えるような詩的な設定について、誰もが自分のドラマチックな憶測をめぐらせて見たい、という需要に彼の存在がうまく合致したのだと思います。