

きっかけによって意味がちがってくる(Bin)
小学生の娘は親子活動(学校行事の1つ)の一環として車椅子を「経験」させてもらいました。保健の授業でフォローし、自然に出来るということを学びました。高校生の娘は大学受験の自己推薦の条件を充たすからと学校の方から言われて断りました。きっかけ次第でその後の「ボランティア」という言葉の響きがちがってくるのではないでしょうか。
ボランティアは家庭教育(ヒーロー・埼玉・既婚・42歳)
わたしはボランティアは家庭教育だと思っています。学校ですと評価などにつながりやすく、本来のボランティア精神の意味あいが薄れてしまう感じがします。
子どもにも親にも機会を与えてくれる(mimiko・千葉・既婚・33歳)
ひとことでボランティアといってもいったい何をすればいいのかわからない、という人が多いのではないのでしょうか?そして自分ひとりではなかなか勇気がでない、ということもあります。そんな中、子どもたちが学校の中でそんな機会を与えてもらえたら、子どもたちにとってもすばらしい経験になるでしょうし、また、親のわたしたちもこれがきっかけで地域に密着していければ、と思います。ただ、評価の対象にするのではなく、ボランティアの種類にもいろんなものがあるんだ、ということやけっして「やってあげる」で行動してはならぬことを教えていただければと思います。
強制するのは賛同できない(MANAMI・東京・既婚・37歳)
教育の一環としてボランティア活動そのものを強制するやり方には賛同できません。やはり、ボランティアは自発的にすべきものだと思います。ただ、社会の中には、さまざまな形で援助を必要としている人たちがいること、その人たちのために自分の時間や力を提供することは、とても自分自身のためになることだということを教育の過程の中で伝えていくことは大切だと思います。難しいことだとは思いますが。
人と接することのすばらしさを学んで欲しい(taku)
10代の子どもがいます。ボランティアが良い対人関係を築き上げるきっかけになってほしいと思います。ボランティアは善意や好意といったポジティブな感情がスタートラインにあると信じていますから。彼らに人と暖かく関わったときの心地よさ、初対面の人とも優しくポジティブに関われること、良い関係を維持する知恵を経験してほしいと思います。気を使いすぎたり、相手を否定することからスタートすることの多い年代ですので。それには細切れの時間でなく、ゆっくりとした時間が必要だと思います。
ボランティアへの親近感を(たみたみ)
ボランティアの評価をするのは、そもそもの「ボランティア」の精神からはずれると思います。でも、学校で取り組むのはいいことだと思います。それがきっかけで興味を持ってくれてもいいし、もっとすすめば、ボランティアが当たり前の事になってくれるかもしれないし。気負いなく、親近感を持つようになるといいな。
経験させるのは良いこと(さくら129・沖縄・未婚・33歳)
やってみたいな、と思いながら出来ないままにいることもあるし、逆に、強制的にさせられたことで目覚める事もあるので、ボランティアは悪いことじゃないのだから、経験させるのは良いと思います。

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